存じませんが、只今四つの時に別れたと仰しゃいます、その人は本郷丸山|辺《あた》りで別れたのではございませんか、そしてあなたは越後村上の内藤紀伊守様の御家来澤田右衞門様のお妹御ではございませんか」
女「おやまアよく知ってお出《い》でゞす、誠に、はい/\」
孝「そして貴方《あなた》のお名前はおりゑ様とおっしゃって、小出信濃守様の御家来黒川孝藏様へお縁附《かたづき》になり、其の後《ご》御離縁になったお方ではございませんか」
女「おやまア貴方は私《わたくし》の名前までお当てなすって、大そうお上手様、これは先生のお弟子でございますか」
と云うに、孝助は思わず側により、
孝「オヽお母様《かゝさま》お見忘れでございましょうが、十九年以前、手前四歳の折お別れ申した忰《せがれ》の孝助めでございます」
りゑ「おやまアどうもマア、お前がアノ忰の孝助かえ」
白「それだから先刻《さっき》から逢っている/\と云うのだ」
おりゑは嬉涙《うれしなみだ》を拭い、
りゑ「何《ど》うもマア思い掛《かけ》ない、誠に夢の様な事でございます、そうして大層立派にお成りだ、斯《こ》う云う姿になっているのだものを、表で逢ったって知れる事じゃアありません」
孝「誠に神の引合せでございます、お母様お懐かしゅうございました、私《わたくし》は昨年越後の村上へ参り、段々御様子を伺《うかゞ》いますれば、澤田右衞門様の代も替り、お母様のいらっしゃいます所も知れませんから、何うがなしてお目に懸りたいと存じていましたに、図《はか》らずこゝでお目に懸り、先《ま》ずお壮健《すこやか》でいらッしゃいまして、斯《こ》んな嬉しい事はございません」
りゑ「よくマア、嘸《さぞ》お前は私を怨んでおいでだろう」
白「そんな話をこゝでしては困るわな、併《しか》し十九年ぶりで親子の対面、嘸話があろうが、いらざる事だが、供に知れても宜《よ》くない事もあろうから、何処《どこ》か待合《まちあい》か何かへ行ってするがいゝ」
孝「はい/\、先生お蔭様で誠に有難うございました、良石様のお言葉といい、貴方様の人相のお名人と申し、実に驚き入りました」
白「人相が名人というわけでもあるまいが、皆こうなっている因縁だから見料《けんりょう》はいらねえから帰りな、ナニ些《ちっ》とばかり置いて行くか、それも宜かろう」
りゑ「種々《いろ/\》お世話様、有り難う存じました、孝助や種々話もしたい事があるから斯うしよう、私は今|馬喰町《ばくろちょう》三丁目|下野屋《しもつけや》という宿屋に泊っているから、お前よ一ト足先へ帰り、供を買物に出すから、其の後《あと》へ供に知れないように上《あが》っておいで」
白「嘸《さぞ》嬉しかろうのう」
孝「さようならば、これから直《すぐ》見え隠《がく》れにお母様のお跡に付いて参りましょう、それはそうと」
と云いつゝも懐中より何程か紙に包んで見料を置き、厚く礼を述べ白翁堂の家を立出《たちい》で、見え隠れに跡をつけ、馬喰町へまいり、下野屋の門辺《かどべ》に佇《たゝず》み待って居《お》るうちに、供の者が買ものに出て行《ゆ》きましたから、孝助は宿屋に入《はい》り、下女《おんな》に案内を頼んで奥へ通る。
りゑ「サア/\/\此処《こゝ》へ来な、本当にマアどうもねえ」
と云いながら孝助をつく/″\見て、
「見忘れはしませぬ幼顔《おさながお》、お前の親御孝藏殿によく似ておいでだよ、そうして大層立派におなりだねえ、お前がお父様《とっさま》の跡を継いで、今でもお父様はお存生《ぞんしょう》でいらッしゃるかえ」
孝「はい、お母様此の両隣の座敷には誰も居りは致しませんか」
りゑ「いゝえ、私も来て間もないことだが、昼の中《うち》は皆《みんな》買物や見物に出かけてしまうから誰もいないよ、日暮方は大勢帰って来るが、今は留守居が昼寝でもしている位だろうよ」
孝「フウ、左様なら申上げますが、お母様は私《わたくし》の四つの時の二月にお離縁になりましたのも、お父様があの通りの酒乱からで、それからお父様は其の年の四月十一日、本郷三丁目の藤村屋新兵衞と申す刀屋の前で斬殺《きりころ》され、無慙《むざん》な死をお遂げなされました」
りゑ「おやまア矢張《やっぱり》御酒《ごしゅ》ゆえで、それだから私アもうお前のお父《とっ》さんでは本当に苦労を仕抜いたよ、あの時もお前と云う可愛い子があることだから、別れたいのではないが、兄が物堅い気性だから、あんな者へ付けては置かれん、酒ゆえに主家《しゅか》をお暇《いとま》に成るような者には添わせて置かんと、無理無体に離縁を取ったが、お行方の事は此の年月《としつき》忘れた事はありませぬ、そうしてお父様が亡くなっては、跡で誰もお前の世話をする者がなかったろう」
孝「さアお父様の店受《たなうけ》彌兵衞と申しまする者が育てゝ呉れ、私《
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