ださい」
伴「左様でございますか、先《ま》ずお上《あが》り」
源「早朝より罷《まか》り出《い》でまして御迷惑、貴方《あなた》が御主人か」
伴「へい、関口屋伴藏は私《わたくし》でございます、こゝは店先どうぞ奥へお通りくださいまし」
源「然《しか》らば御免を蒙《こう》むる」
 と蝋色鞘《ろいろざや》茶柄《ちゃつか》の刀を右の手に下げた儘《まゝ》に、亭主に構わずずっと通り上座《かみざ》に座す。
伴「どなた様でござりますか」
源「これは始めてお目に懸りました、手前は土手下に世帯《しょたい》を持っている宮野邊源次郎と申す粗忽《そこつ》の浪人、家内國|事《こと》、笹屋方にて働女《はたらきおんな》をなし、僅《わずか》な給金にてよう/\其の日を送りいる処、旦那より深く御贔屓を戴くよし、毎度國より承わりおりますれど、何分|足痛《そくつう》にて歩行も成り兼ねますれば、存じながら御無沙汰、重々御無礼をいたした」
伴「これはお初にお目通りをいたしました、伴藏と申す不調法もの幾久しく御懇意を願います、お前様の塩梅《あんばい》の悪いと云う事は聞いていましたが、よくマア御全快、私《わっち》もお國さんを贔屓にするというものゝ、贔屓の引倒しで何《なん》の役にも立ちません、旦那の御新造《ごしんぞ》がねえ、どうも恐れ入った、勿体《もってい》ねえ、馬士《まご》や私のようなものゝ機嫌気づまを取りなさるかと思えば気の毒だ、それがために失礼も度々《たび/\》致しやした」
源「どう致しまして、伴藏さんにちと折入って願いたい事がありますが、私共《わたくしども》夫婦は最早旅費を遣《つか》いなくし、殊《こと》には病中の入費《いりめ》薬礼や何やかやで全く財布《さいふ》の底を払《はた》き、漸《ようや》く全快しましたれば、越後路へ出立したくも如何《いか》にも旅費が乏しく、何《ど》うしたら宜《よ》かろうと思案の側から、女房が関口屋の旦那は御親切のお方ゆえ、泣附いてお話をしたらお見継《みつ》ぎくださる事もあろうとの勧めに任せ参りましたが、どうか路金《ろぎん》を少々拝借が出来ますれば有り難う存じます」
伴「これはどうも、そう貴方のように手を下げて頼まれては面目がありませんが」
 と中は幾許《いくら》かしら紙に包んで源次郎の前にさし置き、
伴「ほんの草鞋銭《わらじせん》でございますが、お請取《うけと》り下せえ」
 と云われて源次郎は取上げて見れば金千|疋《びき》。
源「これは二両二分、イヤサ御主人、二両二分で越後まで足弱《あしよわ》を連れて行《ゆ》かれると思いなさるか、御親切|序《つい》でにもそっとお恵みが願いたい」
伴「千疋では少ないと仰しゃるなら、幾許《いくら》上げたら宜《よ》いのでございます」
源「どうか百金お恵みを願いたい」
伴「一本え、冗談言っちゃアいけねえ、薪《まき》かなんぞじゃアあるめえし、一本の二本のと転がっちゃアいねえよ、旦那え、こういう事《こた》ア一|体《たえ》此方《こっち》で上げる心持|次第《しでい》のもので、幾許《いくら》かくらと限られるものじゃアねえと思いやす、百両くれろと云われちゃア上げられねえ、又道中もしようで限《きり》のないもの、千両も持って出て足りずに内へ取りによこす者もあり、四百の銭《ぜに》で伊勢参宮をする者もあり、二分の金を持って金毘羅参《こんぴらまい》りをしたと云う話もあるから、旅はどうとも仕様によるものだから、そんな事を云ったって出来はしません、誠に商人《あきんど》なぞは遊んだ金は無いもので、表店《おもてだな》を立派に張って居ても内々《ない/\》は一両の銭に困る事もあるものだ、百両くれろと云っても、そんなに私《わっち》はお前《めえ》さんにお恵みをする縁がねえ」
源「國が別段御贔屓になっているから、兎《と》やかく面倒云わず、餞別として百金貰おうじゃアねえか、何も云わずにサ」
伴「お前《めえ》さんはおつう訝《おか》しな事を云わっしゃる、何かお國さんと私《わっち》と姦通《くッつ》いてでもいるというのか」
源「おゝサ姦夫《まおとこ》の廉《かど》で手切《てぎれ》の百両を取りに来たんだ」
伴「ムヽ私《わっち》が不義をしたが何《ど》うした」
源「黙れ、やい不義をしたとはなんだ、捨て置き難《がた》い奴だ」
 と云いながら刀を側へ引寄せ、親指にて鯉口《こいぐち》をプツリと切り、
「此の間から何かと胡散《うさん》の事もあったれど、堪《こら》え/\て是迄|穏便沙汰《おんびんざた》に致し置き、昨晩それとなく國を責めた所、國の申すには、実は済まない事だが貧に迫って止《や》むを得ずあの人に身を任せたと申したから、其の場において手打にしようとは思ったれども、斯《こ》う云う身の上だから勘弁いたし、事|穏《おだや》かに話をしたに、手前《てめえ》の口から不義したと口外されては捨置きがてえ
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