《たまつばき》八千代《やちよ》までと思い思った夫婦|中《なか》、初めての語らい、誠にお目出たいお話でございます。翌日《あした》になると、暗いうちから孝助は支度をいたし、
相「これ/\婆アや、支度は出来たかえ、御膳を上げたか、湯気は立ったかえ、善藏に板橋まで送らせて遣《や》る積りだから、荷物は玄関の敷台《しきだい》まで出して置きな、孝助殿御膳を上《あが》れ」
孝「お父様《とっさま》御機嫌よろしゅう、長い旅ですからつど/\書面を上《あげ》る訳にも参りません、唯《たゞ》心配になるのはお父様のお身体、どうか私《わたくし》が本懐を遂げ帰宅致すまで御丈夫にお出《い》であそばせよ、敵《かたき》の首を提《さ》げてお目に掛け、お悦びのお顔が見とうございます」
相「お前も随分身体を大事にして下さい、どうか立派に出立して下さい、種々《いろ/\》と云いたい事もあるが、キョト/\して云えないから何も云いません、娘|何《な》んで袖を引張《ひっぱ》るのだ」
徳「お父様、旦那様は今日お立ちになりましたら、いつ頃お帰宅になるのでございますのでしょう」
相「まだ分らぬ事をいう、いつまでも少《ちい》さい子供のような気でいちゃアいけないぜ、旦那さまは御主人の敵討に御出立なさるので、伊勢参宮や物見遊山に往《ゆ》くのではない、敵を討ち遂げねばお帰りにはならない、何だ泣《なき》ッ面《つら》をして」
徳「でも大概いつ頃お帰りになりましょうか」
相「おれにも五年かゝるか十年かゝるか分らない」
徳「そんなら五年も十年もお帰りあそばさないの」
と云いながら潜々《さめ/″\》と泣き萎《しお》れる。
相「これ、何が悲しい、主《しゅう》の敵を討つなどゝ云う事は、侍の中《うち》にも立派な事だ、かゝる立派な亭主を持ったのは有難いと思え、目出度い出立だ、何故《なぜ》笑い顔をして立たせない、手前が未練を残せば少禄の娘だから未練だ、意気地《いくじ》がないと孝助殿に愛想《あいそ》を尽かされたら何《ど》うする、孝助殿歳がいかない子供のような娘だから、気にかけて下さるな、婆ア何を泣く」
婆「私《わたくし》だってお名残《なご》りが惜しいから泣きます、貴方も泣いて入らっしゃるではございませんか」
相「己は年寄だから宜しい」
と言訳をしながら泣いていると、孝助は、
「さようならば御機嫌よろしゅう」
と玄関の敷台を下《お》り草鞋を穿《は》こうとする、其の側へお徳はすり寄り袂《たもと》を控え、涙に目もとをうるましながら、
「御機嫌様よろしく」
と縋《すが》り付くを孝助は慰《なだ》め、善藏に送られ出立しました。
十六
白翁堂勇齋は萩原新三郎の寝所《ねどこ》を捲《ま》くり、実にぞっと足の方から総毛立つほど怖く思ったのも道理、萩原新三郎は虚空を掴《つか》み、歯を喰いしばり、面色土気色に変り、余程な苦しみをして死んだものゝ如く、其の脇へ髑髏《どくろ》があって、手とも覚しき骨が萩原の首玉《くびったま》にかじり付いており、あとは足の骨などがばら/\になって、床の中《うち》に取散《とりち》らしてあるから、勇齋は見て恟《びっく》りし、
白「伴藏これは何《なん》だ、おれは今年六十九に成るが、斯《こ》んな怖ろしいものは初めて見た、支那の小説なぞにはよく狐を女房にしたの、幽霊に出逢ったなぞと云うことも随分あるが、斯様《かよう》な事にならないように、新幡随院の良石和尚に頼んで、有難い魔除《まよけ》の御守《おまもり》を借り受けて萩原の首を掛けさせて置いたのに、何《ど》うも因縁は免《のが》れられないもので仕方がないが、伴藏首に掛けて居る守を取って呉れ」
伴「怖いから私《わっち》ゃアいやだ」
白「おみね、こゝへ来な」
みね「私《わたくし》もいやですよ」
白「何しろ雨戸を明けろ」
と戸を明けさせ、白翁堂が自ら立って萩原の首に掛けたる白木綿の胴巻を取外《とりはず》し、グッとしごいてこき出せば、黒塗|光沢消《つやけし》の御厨子にて、中を開けばこは如何《いか》に、金無垢の海音如来と思いの外《ほか》、いつしか誰か盗んですり替えたるものと見え、中は瓦に赤銅箔《しゃくどうはく》を置いた土の不動と化《け》してあったから、白翁堂はアッと呆れて茫然と致し、
白「伴藏これは誰が盗んだろう」
伴「なんだか私《わっち》にゃアさっぱり訳が分りません」
白「これは世にも尊《とうと》き海音如来の立像にて、魔界も恐れて立去るという程な尊い品なれど、新幡随院の良石和尚が厚い情《なさけ》の心より、萩原新三郎を不便《ふびん》に思い、貸して下され、新三郎は肌身放さず首にかけていたものを、何《ど》うして斯様《かよう》にすり替えられたか、誠に不思議な事だなア」
伴「成程なア、私《わっち》どもにゃア何《なん》だか訳が分らねえが、観音様ですか」
白「伴藏手前
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