るい」
飯「成程これはおれがわるかった、何しろ目出度《めでた》いから皆《みんな》に蕎麦《そば》でも喰わせてやれ」
 と飯島は孝助の忠義の志《こゝろざ》しは予《かね》て見抜いてあるから、孝助が盗み取るようなことはないと知っている故、金子は全く紛失《ふんじつ》したなれども、別に百両を封金《ふうきん》に拵《こし》らえ、此の騒動を我が粗忽《そこつ》にしてぴったりと納まりがつきました。飯島は斯程《かほど》までに孝助を愛する事ゆえ、孝助も主人の為《た》めには死んでもよいと思い込んで居りました。斯《か》くて其の月も過ぎて八月の三日となり、いよ/\明日《あす》はお休みゆえ、殿様と隣邸《となり》の次男源次郎と中川へ釣《つり》に行《ゆ》く約束の当日なれば、孝助は心配をいたし、今夜隣の源次郎が来て当家に泊るに相違ないから、殿様に明日《みょうにち》の釣をお止《や》めなさるように御意見を申し上げ、もし何《ど》うしてもお聞入《きゝいれ》のない其の時は、今夜客間に寝ている源次郎めが中《ちゅう》二階に寝ているお國の所へ廊下伝いに忍び行《ゆ》くに相違ないから、廊下で源次郎を槍玉《やりだま》にあげ、中二階へ踏込《ふみこ》んでお國を突殺《つきころ》し、自分は其の場を去らず切腹すれば、何事もなく事済《ことずみ》になるに違いない、これが殿様へ生涯の恩返し、併《しか》し何うかして明日《みょうにち》主人を漁《りょう》にやりたくないから、一応は御意見をして見ようと、
孝「殿様|明日《みょうにち》は中川へ漁に入《いら》っしゃいますか」
飯「あゝ行《ゆ》くよ」
孝「度々《たび/\》申上げるようですが、お嬢様がお亡くなりになり、未《ま》だ間《ま》もない事でございまするから、お見合《みあわ》せなすっては如何《いかゞ》」
飯「己《おれ》は外《ほか》に楽《たのし》みはなく釣が極《ごく》好きで、番がこむから、偶《たま》には好きな釣ぐらいはしなければならない、それを止《と》めてくれては困るな」
孝「貴方《あなた》は泳ぎを御存じがないから水辺《すいへん》のお遊びは宜《よろ》しくございません、それともたって入っしゃいますならば孝助お供いたしましょう、何うか手前お供にお連れください」
飯「手前は釣は嫌いじゃないか、供はならんよ、能《よ》く人の楽みを止める奴だ、止めるな」
孝「じゃア今晩やって仕舞います、長々御厄介になりました」
飯「何を」
孝「え、なんでも宜しゅうございます、此方《こちら》の事です、殿様|私《わたくし》は三月二十一日に御当家へ御奉公に参りまして、新参者の私を、人が羨《うらや》ましがる程お目を掛けてくださり、御恩義の程は死んでも忘れはいたしません、死ねば幽霊になって殿様のお身体に附きまとい、凶事のない様に守りまするが、全体貴方は御酒を召上れば前後も知らずお寝《やす》みになる、又召上がらねば少しもお寝みになる事が出来ません、御酒も随分気を散じますから少々は召上がっても宜しゅうございますが、多分に召上ってお酔いなすっては、仮令《たとい》どんなに御剣術が御名人でも、悪者がどんなことを致しますかも知れません、私はそれが案じられてなりません」
飯「さような事は云わんでも宜しい、あちらへ参れ」
孝「へえ」
 と立上がり、廊下を二足《ふたあし》三足《みあし》行《ゆ》きにかゝりましたが、是《こ》れがもう主人の顔の見納めかと思えば、足も先に進まず、又振返って主人の顔を見てポロリと涙を流し、悄々《しお/\》として行《ゆ》きますから、振返るを見て飯島もハテナと思い、暫《しば》し腕|拱《こまぬ》き、小首かたげて考えて居りました。孝助は玄関に参り、欄間《らんま》に懸《かゝ》ってある槍をはずし、手に取って鞘《さや》を外《はず》して検《あらた》めるに、真赤《まっか》に錆《さ》びて居りましたゆえ、庭へ下《お》り、砥石《といし》を持来《もちきた》り、槍の身をゴシ/\研《と》ぎはじめていると、
飯「孝助々々」
孝「へい/\」
飯「何《なん》だ、何をする、どう致すのだ」
孝「これは槍でございます」
飯「槍を研いで何《ど》う致すのだえ」
孝「余《あんま》り真赤《まっか》に錆《さび》ておりますから、なんぼ泰平の御代《みよ》とは申しながら、狼藉《ろうぜき》ものでも入《い》りますと、其の時のお役に立たないと思い、身体が閑でございますから研ぎ始めたのでございます」
飯「錆槍《さびやり》で人が突けぬような事では役にたゝんぞ、仮令《たとえ》向うに一|寸幅《すんはゞ》の鉄板《てついた》があろうとも、此方《こちら》の腕さえ確《たしか》ならプツリッと突き抜ける訳のものだ、錆ていようが丸刃《まるは》であろうが、さような事に頓着《とんじゃく》はいらぬから研ぐには及ばん、又憎い奴を突殺《つきころ》す時は錆槍で突いた方が、先の奴が痛いから此方が却
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