《かえ》っていゝ心持《こゝろもち》だ」
孝「成程こりゃアそうですな」
と其の儘《まゝ》槍を元の処《ところ》へ掛けて置く。飯島は奥へ這入り、其の晩源次郎がまいり酒宴《さかもり》が始まり、お國が長唄の地《じ》で春雨《はるさめ》かなにか三味線《さみせん》を掻きならし、当時の九時過まで興を添えて居りましたが、もうお引《ひけ》にしましょうと客間へ蚊帳を一抔に吊って源次郎を寝かし、お國は中《ちゅう》二階へ寝てしまいました。お國は誰が泊っても中二階へ寝なければ源次郎の来た時不都合だから、何時《いつ》でもお客さえあればこゝへ寝ます。夜《よ》も段々と更け渡ると、孝助は手拭《てぬぐい》を眉深《まぶか》に頬冠《ほおかむ》りをし、紺看板《こんかんばん》に梵天帯《ぼんてんおび》を締め、槍を小脇に掻込《かいこ》んで庭口へ忍び込み、雨戸を少々ずつ二所《ふたところ》明けて置いて、花壇の中《うち》へ身を潜《ひそ》め隠し縁の下へ槍を突込《つきこ》んで様子を窺《うかゞ》っている。その中《うち》に八《や》ツの鐘がボーンと鳴り響く。此の鐘は目白の鐘だから少々早めです。するとさらり/\と障子を明け、抜足《ぬきあし》をして廊下を忍び来る者は、寝衣姿《ねまきすがた》なれば、慥《たしか》に源次郎に相違ないと、孝助は首を差延《さしの》べ様子を窺うに、行灯《あんどう》の明りがぼんやりと障子に映るのみにて薄暗く、はっきりそれとは見分けられねど、段々中二階の方へ行《ゆ》くから、孝助はいよ/\源次郎に違いなしとやり過《すご》し、戸の隙間《すきま》から脇腹を狙って、物をも云わず、力に任せて繰出《くりだ》す槍先は過《あやま》たず、プツリッと脾腹《ひはら》へ掛けて突き徹《とお》す。突かれて男はよろめきながら左手《ゆんで》を延《のば》して槍先を引抜《ひきぬ》きさまグッと突返《つきかえ》す。突かれて孝助たじ/\と石へ躓《つまず》き尻もちをつく。男は槍の穂先を掴《つか》み、縁側より下へヒョロ/\と降り、沓脱石《くつぬぎいし》に腰を掛け、
「孝助外庭へ出ろ/\」
と云われて孝助、オヤ、と言って見ると、恟《びっく》りしたは源次郎と思いの外《ほか》、大恩受けたる主人の肋骨《あばら》へ槍を突掛《つきか》けた事なれば、アッとばかりに呆《あき》れはて、唯《たゞ》キョトキョト/\として逆上《のぼせ》あがってしまい、呆気《あっけ》に取られて涙も出ずにいる。
飯「孝助こちらへ来い」
と気丈な殿様なれば袂《たもと》にて疵口《きずぐち》を確《しっ》かと押えてはいるものゝ、血《のり》は溢《あふ》れてぼたり/\と流れ出す。飯島は血に染《し》みたる槍を杖として、飛石伝《とびいしづた》いにヒョロ/\と建仁寺垣の外なる花壇の脇の所へ孝助を連れて来る。孝助は腰が抜けてしまって、歩けないで這って来た。
孝「へい/\間違《まちがい》でござります」
飯「孝助|己《おれ》の上締《うわじめ》を取って疵口を縛れ、早く縛れ」
と云われても、孝助は手がブル/\とふるえて思うまゝに締らないから、飯島自ら疵口をグッと堅く締め上げ、猶《なお》手をもって其の上を押え、根府川《ねぶかわ》の飛石の上へペタ/\と坐る。
孝「殿様、とんでもない事をいたしました」
とばかりに泣出《なきいだ》す。
飯「静かにしろ、他《ほか》へ洩れては宜《よろ》しくないぞ、宮野邊源次郎めを突こうとして、過《あや》まって平左衞門を突いたか」
孝「大変な事をいたしました、実は召仕《めしつかい》のお國と宮野邊の次男源次郎と疾《とく》より不義をしていて、先月《あとげつ》廿一日お泊番《とまりばん》の時、源次郎がお國の許《もと》へ忍び込み、お國と密々《ひそ/\》話して居る所へうっかり私《わたくし》がお庭へ出て参り、様子を聞くと、殿様がいらっしゃっては邪魔になるゆえ、来月の四日中川にて殿様を釣舟から突落《つきおと》して殺してしまい、体能《ていよ》くお頭《かしら》に届けをしてしまい、源次郎を養子に直し、お國と末長く楽しもうとの悪工《わるだく》み、聞くに堪え兼ね、怒りに任せ、思わず呻《うな》る声を聞きつけ、お國が出て参り、彼此《かれこれ》と言い合《あい》はしたものゝ、源次郎の方には殿様から釣道具の直しを頼みたいとの手紙を以《もっ》て証拠といたし、一|時《じ》は私《わたくし》云い籠められ、弓の折《おれ》にてしたゝか打たれ、いまだに残る額の疵《きず》、口惜《くやし》くてたまり兼ね、表向《おもてむき》にしようとは思ったなれど、此方《こちら》は証拠のない聞いた事、殊《こと》に向うは次男の勢い、無理でも圧《おさ》え付けられて私はお暇《いとま》になるに相違ないと思い諦め、彼《あ》の事は胸にたゝんでしまって置き、いよ/\明日《みょうにち》は釣にお出《いで》になるお約束日ゆえお止め申しましたが、お聞入れがな
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