すと、家内は一体に寝静まったと見え、奉公人の鼾《いびき》の声のみしんといたしまして、池上町と杉原町の境に橋がありまして、其の下を流れます水の音のみいたしております。孝助はもう家内が寝たかと耳を寄せて聞きますと、内では小声で念仏を唱えている声がいたしますから、ハテ誰《だれ》か念仏を唱えているものがあるそうだなと思いながら、雨戸へ手を掛けて細目に明けると、母のおりゑが念珠《ねんじゅ》を爪繰りまして念仏を唱えているから、孝助は不審に思い小声になり。
孝「お母《っか》さま、これはお母様のお寝間でございますか、ひょっと場所を取違えましたか」
母「はい、源次郎お國は私が手引をいたしまして疾《とく》に逃がしましたよ」
と云われて孝助は恟《びっく》りし、
孝「えゝ、お逃し遊ばしましたと」
母「はい十九年ぶりでお前に逢い、懐かしさのあまり、源次郎お國は私の家《うち》へ匿《かく》まってあるから手引きをして、私が討たせると云ったのは女の浅慮《あさはか》、お前と道々来ながらも、お前に手引きをして両人を討たしては、私が再縁した樋口屋五兵衞どのに済まないと考えながら来ました、今こゝの家の主人五郎三郎は、十三の時お國が十一の時から世話になりましたから実の子も同じ事、お前は離縁をして黒川の家《いえ》へ置いて来た縁のない孝助だから、両人《ふたり》を手引をして逃がしました、それは全く私がしたに違いないから、お前は敵《かたき》の縁に繋《つな》がる私を殺し、お國源次郎の後《あと》を追掛けて勝手に敵をお討ちなさい」
と云われ孝助は呆れて、
孝「えゝお母様、それは何ゆえ縁が切れたと仰しゃいます、成程親は乱酒でございますから、あなたも愛想《あいそ》が尽きて、私の四ツの時に置いてお出《で》になった位ですから、よく/\の事で、お怨み申しませんが、私《わたくし》は縁は切れても血統《ちすじ》は切れない実のお母さま、私は物心が付きましてお母様はお達者か、御無事でおいでかと案じてばかりおりました所、此度《こんど》図《はか》らずお目にかゝりましたのは日頃|神信心《かみしんじん》をしたお蔭だ、殊《こと》にあなたがお手引をなすって、お國源次郎を討たせて下さると仰しゃッたから、此の上もない有難いことと喜んでおりました、それを今晩になってお前には縁がない、越後屋に縁がある、あかの他人に手引をする縁がないと仰しゃるはお情ない、左様
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