実母であるとよ、此の間母が江戸見物に行った時孝助に廻《めぐ》り逢い、悉《くわ》しい様子を孝助から残らず母が聞取り、手引をして我を打たせんと宇都宮へ連れては来たが、義理堅い女だから、亡父五兵衞の位牌へ対してお國を討たしては済まないという所で、路銀まで貰い、斯《こ》うやって立たせてはくれたものゝ、其処《そこ》は血肉を分けた親子の間、事によると後《あと》から追掛けさせ、やって来《き》まいものでもないが、何《ど》うしてか手前《てめえ》らが加勢して孝助を殺してくれゝば、多分の礼は出来ないが、二十金やろうじゃないか」
龜「宜しゅうございやす、随分やッつけましょう」
相「龜藏|安受合《やすうけあい》するなよ、彼奴《あいつ》と大曲で喧嘩した時、大溝《おおどぶ》の中へ放り込まれ、水を喰《くら》ってよう/\逃帰ったくらい、彼奴ア途方もなく剣術が旨いから、迂濶《うっか》り打《たゝ》き合うと叶《かな》やアしない」
龜「それは又工夫がある、鉄砲じゃア仕様があるめえ、十郎ヶ峰あたりへ待受け、源さまは清水流れの石橋の下へ隠れて居て、己達《おらたち》ゃア林の間に身を隠している所へ、孝助がやって来《く》りゃア、橋を渡り切った所で、己が鉄砲を鼻ッ先へ突付けるのだ、孝助が驚いて後《あと》へさがれば、源さまが飛出して斬付けりゃア挟《はさ》み打ち[#「挟《はさ》み打ち」は底本では「狭《はさ》み打ち」]、わきアねえ、遁《に》げるも引くも出来アしねえ」
源「じゃアどうか工夫してくれろ、何分頼む」
と是から龜藏は何処《どこ》からか三|挺《ちょう》の鉄砲を持ってまいり、皆々連立ち十郎ヶ峰に孝助の来るを待受けました。
二十一の下
さて相川孝助は宇都宮池上町の角屋へ泊り、其の晩九ツの鐘の鳴るのを待ち掛けました処、もう今にも九ツだろうと思うから、刀の下緒《さげお》を取りまして襷《たすき》といたし、裏と表の目釘《めくぎ》を湿《しめ》し、養父相川新五兵衞から譲り受けた藤四郎吉光の刀をさし、主人飯島平左衞門より形見に譲られた天正助定を差添《さしぞえ》といたしまして、橋を渡りて板塀の横へ忍んで這入りますと、三尺の開き戸が明いていますから、ハヽアこれは母が明けて置いてくれたのだなと忍んで行《ゆ》きますと、母の云う通り四畳半の小座敷がありますから、雨戸の側《わき》へ立寄り、耳を寄せて内の様子を窺《うかゞ》いま
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