今お遺書《かきおき》の御様子にては、主人は私《わたくし》を急いで出し、後《あと》で客間へ踏込んで源次郎と闘うとの事ですが、如何《いか》に源次郎が剣術を知らないでも、殿様があんな深傷《ふかで》にてお立合なされては、彼が無残の刃の下に果敢《はか》なくお成りなされるは知れた事、みす/\敵《かたき》を目の前に置きながら、恩あり義理ある御主人を彼等に酷《むご》く討たせますは実に残念でござりますから、直《すぐ》に取って返し、お助太刀を致す所存でございます」
相「分らない事を云わっしゃるな、御主人様が是だけの遺書《かきおき》をお遣《つか》わしなさるは何の為《た》めだと思わッしゃる、そんな事をしなさると、飯島の家《いえ》が潰《つぶ》れるから、邸《やしき》へ行《ゆ》く事は明朝までお待ち、此の遺書の事を心得てこれを反故《ほご》にしてはならんぜ」
 と亀の甲より年の功、流石《さすが》老巧《ろうこう》の親身の意見に孝助はかえす言葉もありませんで、口惜《くやし》がり、唯《たゞ》身を震わして泣伏しました。話かわって飯島平左衞門は孝助を門外《もんそと》に出し、急ぎ血潮|滴《した》たる槍を杖とし、蟹のように成ってよう/\に縁側に這い上がり、蹌《よろ》めく足を踏みしめ踏みしめ、段々と廊下を伝い、そっと客間の障子を開《ひら》き中へ入《い》り、十二畳一杯に釣ってある蚊帳の釣手《つりて》を切り払い、彼方《あなた》へはねのけ、グウ/\とばかり高鼾《たかいびき》で前後《あとさき》も知らず眠《ね》ている源次郎の頬《ほう》の辺《あた》りを、血に染《し》みた槍の穂先にてペタリ/\と叩きながら、
飯「起《おき》ろ/\」
 と云われて源次郎頬が冷《ひ》やりとしたに不図《ふと》目を覚《さま》し、と見れば飯島が元結はじけて散《ちら》し髪で、眼は血走り、顔色は土気色《つちけいろ》になり、血の滴《した》たる手槍をピタリッと付け立っている有様を見るより、源次郎は早くも推《すい》し、アヽヽこりア流石《さすが》飯島は智慧者《ちえしゃ》だけある、己と妾のお國と不義している事を覚《さと》られたか、さなくば例の悪計を孝助|奴《め》が告げ口したに相違なし、何しろ余程の腹立《はらだち》だ、飯島は真影流の奥儀《おうぎ》を極《きわ》めた剣術の名人で、旗下《はたもと》八万騎の其の中に、肩を並ぶるものなき達人の聞えある人に槍を付けられた事だから、源次
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