塩原多助旅日記
三遊亭円朝
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)是《これ》は
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二|番地《ばんち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)拠若林※[#「王+甘」、第4水準2−80−65]蔵筆記
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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いや是《これ》は若林先生《わかばやしせんせい》、さア此方《こちら》へお這入《はい》んなさい。どうも久《ひさ》し振《ぶり》でお目《め》に掛《かゝ》りました。裏猿楽町《うらさるがくちやう》二|番地《ばんち》へ御転住《ごてんぢう》になつたといふ事でございますから、一寸《ちよつと》お家《いへ》見舞《みまひ》にあがるんですが、どうも何《なに》も貴方《あなた》のお座敷《ざしき》へ出すやうな話がないので、つい御無沙汰《ごぶさた》致《いた》しました。時に斯《か》ういふ話があるんです。是《これ》は貴方《あなた》も御承知《ごしようち》の石切河岸《いしきりがし》にゐた故人《こじん》柴田是真翁《しばたぜしんをう》の処《ところ》へ私《わたくし》が行《い》つて聞いた話ですが、是《これ》は可笑《をか》しいて……私《わたくし》が何処《どこ》へ行《い》つても口馴《くちな》れてお喋《しやべ》りをするのは御承知《ごしようち》の塩原多助《しほばらたすけ》の伝《でん》だが、此《こ》の多助《たすけ》の伝《でん》は是真翁《ぜしんをう》が教へてくれたのが初まりだが、可笑《をか》しいぢやありませぬか。どういふ訳《わけ》かといふと、其頃《そのころ》私《わたくし》が怪談《くわいだん》の話の種子《たね》を調べようと思つて、方々《はう/″\》へ行《い》つて怪談《くわいだん》の種子《たね》を買出《かひだ》したと云《い》ふのは、私《わたくし》の家《うち》に百|幅幽霊《ぷくいうれい》の掛物《かけもの》があるから、百|怪談《くわいだん》といふものを拵《こしら》へて話したいと思ふ時分《じぶん》の事で、其頃《そのころ》はまだ世の中が開《ひら》けないで、怪談《くわいだん》の話の売《う》れる時分《じぶん》だから、種子《たね》を探して歩いた。或時《あるとき》是真翁《ぜしんをう》の処《ところ》へ行《ゆ》くと、是真翁《ぜしんをう》が「お前《まへ》は此頃《このごろ》大層《たいそう》怪談《くわいだん》の種子《たね》を探しておいでださうだ。」「どうか怪談《くわいだん》の種子《たね》を百|種買出《いろかひだ》して見たいと思ひます。八|代目《だいめ》団《だん》十|郎《らう》や市村羽左衛門《いちむらうざゑもん》の怪談《くわいだん》、沢村宗《さはむらそう》十|郎《らう》の御殿女中《ごでんぢよちう》の怪談《くわいだん》、岩井半《いはゐはん》四|郎《らう》の怪談《くわいだん》、其他《そのた》聞いた事見た事を種々《いろ/\》集めてゐるんですが」と云《い》ふと、是真翁《ぜしんをう》が「円朝《ゑんてう》さん、妙《めう》な怪談《くわいだん》の種子《たね》がある。こりやア面白《おもしろ》い怪談《くわいだん》だが、お前《まへ》何《なに》を知らないか、塩原多助《しほばらたすけ》といふ本所《ほんじよ》相生町《あひおひちやう》二|丁目《ちやうめ》の炭屋《すみや》の怪談《くわいだん》を」「知りませぬ」「さうかね、塩原多助《しほばらたすけ》といふ炭屋《すみや》の井戸《ゐど》は内井戸《うちゐど》であつたさうだが、其家《そのうち》はたいした身代《しんだい》だから、何《なん》とかいふ名《な》のある結構《けつこう》な石でこしらへた立派《りつぱ》な井戸《ゐど》ださうだ。ところが其《そ》の井戸《ゐど》の中《なか》へ嫁《よめ》が身を投げて死んだり、二代目と三代目の主人が気違《きちが》ひになつたりしたのが、其家《そのいへ》の潰《つぶ》れる初まりといふので、そりやア何《なん》とも云《い》へない凄《すご》い怪談《くわいだん》がある」「へー、それはどう云《い》ふ筋《すぢ》です」「委《くは》しい事は知らないが、何《なん》でも其《そ》の初代《しよだい》の多助《たすけ》といふ人は上州《じやうしう》の方《はう》から出て来《き》た人で、同じ国者《くにもの》が多助《たすけ》を便《たよ》つて来《き》て、私《わし》もお前《まへ》のやうな大きな身代《しんだい》になりたい、国《くに》の家《いへ》が潰《つぶ》れたから江戸《えど》で稼《かせ》いで、国《くに》の家《いへ》を再興《さいこう》したいと思つて出て来《き》たのだから、どうか資本《もとで》を貸《か》してくれと云《い》ふと、多助《たすけ》がそりやアいけない、他人《ひと》に資本《もとで》を借《か》りてやるやうな事では仕方《しかた》がない、何《なん》でも自分で苦しんで蟻《あり》が塔《たふ》を積《つ》むやうにボツ/\身代《しんだい》をこしらへたのでなくては、大きな身代《しんだい》になれるものではないから、兎《と》も角《かく》も細《こま》かい商《あきな》ひをして二|朱《しゆ》か三|朱《しゆ》の裏店《うらだな》へ住《すま》つて、一|生懸命《しやうけんめい》に稼《かせ》ぎ、朝は暗い中《うち》から商《あきな》ひに出《で》、日《ひ》が暮《くれ》てから帰《かへ》つて来《く》るやうにし、夜《よる》は翌日《あした》の買出《かひだ》しに出る支度《したく》をし、一|時《とき》か一|時半《ときはん》ほか寝《ね》ないで稼《かせ》いで、金《かね》を貯《た》めなければ、本当《ほんたう》に金《かね》は貯《たま》らない。私《わし》なども其位《そのくらゐ》な苦しみをして漸《やうや》く斯《か》ういふ身《み》の上《うへ》になつたのだ。と云《い》はれて此人《このひと》も多助《たすけ》のいふことを成程《なるほど》と感心《かんしん》したから、自分も何《なん》ぞ商《あきな》ひをしようといふので、是《これ》から漬物屋《つけものや》を初めた。すると相応《さうおう》に商《あきな》ひもあるから、商《あきな》ひ高《だか》の内《うち》より貯《た》めて置いて、これを多助《なすけ》に預《あづ》けたのが段々《だん/\》積《つも》つて、二百|両《りやう》ばかりになつた。其頃《そのころ》の百|両《りやう》二百|両《りやう》と云《い》ふのは大《たい》したものだから、もう是《これ》で国《くに》へ帰《かへ》つて田地《でんぢ》も買《か》へるし、家《いへ》も建《た》てられるといふので、大《おほ》いに悦《よろこ》んで多助《たすけ》に相談の上《うへ》、国《くに》へ帰《かへ》つた。国《くに》へ帰《かへ》つて田地《でんち》を買ふ約束をしたり、家《いへ》を建《たて》る木材《きざい》を山から伐《き》り出《だ》すやうにしたり、ちやんと手筈《てはず》を付《つ》けて江戸《えど》へ帰《かへ》つて来《く》ると、塩原多助《しほばらたすけ》が死《し》んでゐた。さア大《おほ》いに驚《おどろ》いて、早速《さつそく》多助《たすけ》の家《うち》へ行《い》つて、番頭《ばんとう》に掛合《かけあ》ふと、番頭《ばんとう》は狡《ずる》い奴《やつ》だから、そんなものはお預《あづか》り申《まう》した覚《おぼ》えはござりませぬ、大旦那様《おほだんなさま》お亡《かく》れの時お遺言《ゆゐごん》もございませぬから上《あげ》る事は出来《でき》ない、一|体《たい》お前《まへ》さんは何《なに》を証拠《しようこ》に預《あづ》けたと云《い》ひなさるか、預《あづ》けたものなら証拠《しようこ》が無《な》ければならない。といふ取《と》つても付《つ》けない挨拶《あいさつ》。其時分《そのじぶん》は人間が大様《おほやう》だから、金《かね》を預《あづ》ける通帳《かよひちやう》をこしらへて、一々《いち/\》附《つ》けては置いたが、その帳面《ちやうめん》は多助《たすけ》の方《はう》へ預《あづ》けた儘《まゝ》国《くに》へ帰《かへ》つたのを、番頭《ばんとう》がちよろまかしてしまつたから、何《なに》も証拠《しようこ》はない。さア其人《そのひと》は口惜《くや》しくつて耐《たま》らないから、預《あづ》けたに違《ちが》ひない、多助《たすけ》さんさへゐれば其様《そのやう》なことを云《い》ふ筈《はず》はないのだから、返《かへ》してくれ。と云《い》つても肯《き》かない。決して預《あづ》かつた覚《おぼ》えはない、と云《い》ひ張《は》る。預《あづ》けた預《あづ》からないの争《あらそ》ひになつた処《ところ》が、出入《でい》りの車力《しやりき》や仕事師《しごとし》が多勢《おほぜい》集《あつま》つて来《き》て、此奴《こいつ》は騙取《かたり》に違《ちが》ひないと云《い》ふので、ポカ/\殴《なぐ》つて表《おもて》へ突出《つきだ》したが、証拠《しようこ》がないから表向訴《おもてむきうつた》へることが出来《でき》ない。頭《あたま》へ疵《きず》を付《つ》けられて泣く/\帰《かへ》つたが、国《くに》では田地《でぢ》を買ひ、木材《きざい》を伐《き》り出す約束をして、手金《てきん》まで打つてあるから、今更《いまさら》金《かね》が出来《でき》ないと云《い》つて帰《かへ》ることは出来《でき》ない。昔の人で了簡《れうけん》が狭《せま》いから、途方《とはう》に暮《く》れてすご/\と宅《うち》へ帰《かへ》り、女房《にようばう》に一伍一什《いちぶしじう》を話し、此上《このうへ》は夫婦別《ふうふわか》れをして、七歳《なゝつ》ばかりになる女の子を女房《にようばう》に預《あづ》けて、国《くに》へ帰《かへ》るより仕方《しかた》がない。と云《い》ふと、お前《まへ》さんのやうな生地《いくぢ》のないものはない、預《あづ》けたものを預《あづ》からないと云《い》はれて、はいと云《い》つて帰《かへ》つて来《く》ると云《い》ふのは、何《ど》ういふ訳《わけ》です、殊《こと》に頭《あたま》へ疵《きず》を付《つ》けられて帰《かへ》つて来《く》るとは、余《あんま》り生地《いくぢ》が無《な》さ過《すぎ》る、そんな生地《いくぢ》のない人と連添《つれそ》つてゐるのは嫌《いや》だ、此子《このこ》はお前《まへ》さんの子《こ》だからお前さんが育てるが宜《い》い、私《わたし》はもつと気丈《きぢやう》な人のところへ縁付《かたづ》くから、といふ薄情《はくじやう》な言《い》ひ分《ぶん》、此女《このをんな》は国《くに》から連《つ》れて来《き》たのではない、江戸《えど》で持《も》つた女《をんな》か知れない、それは判然《はつきり》分《わか》らないが、何《なに》しろ薄情《はくじやう》の女《をんな》だから亭主《ていしゆ》を表《おもて》へ突《つ》き出す。男《をとこ》は怨《うら》めしさうに宅《うち》の方《はう》を睨《にら》んで、泣く/\向《むか》うへ行《ゆ》かうとすると、お父《とツ》つアんエーと云《い》つて女の子が追《お》つ掛《か》けて来《く》るから、どうかお母《つか》さんの処《ところ》へ帰《かへ》つてくれ、お父《とツ》つアんは無《な》いものと思つてくれと言ひ聞かせて、泣きながら帰《かへ》る子の後姿《うしろすがた》を見送り、あゝ口惜《くや》しい、二代目の多助《たすけ》といふ奴《やつ》は恐《おそ》ろしい奴《やつ》だ、親父《おやぢ》に金《かね》を預《あづ》けた事を知つてゐながら、預《あづ》かつた覚《おぼ》えはないと云《い》ふのは酷《ひど》い奴《やつ》だ、塩原《しほばら》の家《いへ》へ草を生《は》やさずに置くべきか、と云《い》つて吾妻橋《あづまばし》からドンブリと身を投げた。さうすると円朝《ゑんてう》さん、その死骸《しがい》が何《ど》ういふ潮時《しほどき》であつたか知らないが、流れ/\て塩原《しほばら》の前《まへ》の桟橋《さんばし》へ着いたさうだ。それを店《みせ》の小僧《こぞう》が見付《みつ》けて、土左衛門《どざゑもん》が着《つ》いてゐます土左衛門《どざゑもん》が着《つ》いてゐますと云《い》つて騒《さわ》ぐ。若
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