代目|塩原《しほばら》が、大層《たいそう》良《よ》い身代《しんだい》になつて跡目相続《あとめさうぞく》をした時、お父《とつ》さん、お前《まへ》さんはもう是《これ》だけの身代《しんだい》になつたら、少しはさつぱりした着物をお召《め》しなさるが宜《よ》い、何時《いつ》までも木綿《もめん》の筒《つゝ》ツぽでは可笑《をか》しいから、これを着て下さいと云《い》つて、其《そ》の黒羽二重《くろはぶたへ》の着物を出したところが、こんな物を着るやうで、商人《あきんど》の身代《しんだい》が上《あが》るものかと云《い》つて、一度も着たことは無《な》かつたさうです。其《そ》の着物が残《のこ》つて居《を》ります。それから御先代《ごせんだい》の木像《もくざう》と過去帳《くわこちやう》が残《のこ》つて居《を》ります」「それでは、ちよいとそれを持《も》つて来《き》て貰《もら》ひたい」といふと、女将《おつかあ》は直《すぐ》に車に乗つて行《い》つて取つて来《き》ました。其中《そのうち》に誂《あつら》へた御飯《ごはん》が出来《でき》ましたから、御飯《ごはん》を食《た》べて、其《そ》の過去帳《くわこちやう》を皆《みな》写《うつ》してしまつた。其《そ》の過去帳《くわこちやう》の中《うち》に「塩原多助《しほばらたすけ》養父《やうふ》塩原覚右衛門《しほばらかくゑもん》、実父《じつぷ》塩原覚右衛門《しほばらかくゑもん》」と同じ名前が書いてある。はてな、同じ名前は変《へん》だと思つたから、「お母《つか》さん、こゝに同じ名前があるが、是《これ》は何《ど》ういふ訳《わけ》だらう」と聞くと、「それは私《わたし》には分《わか》りませぬ、そんな事が書物《かきもの》にあつたと云《い》ひますけれども、私《わたし》には分《わか》りませぬ」「初代《しよだい》の多助《たすけ》といふ人は上州《じやうしう》の人ださうですが、さうかえ」「さうでございます、上州《じやうしう》沼田《ぬまた》の在《ざい》だと云《い》ふことでございます」「何処村《どこむら》といふことは分《わか》りませぬか」「どうも分《わか》りませぬ」「それぢや少し聞いたことが有《あ》るから、私《わたし》は一つ沼田《ぬまた》へ行《い》つて見ようと思ふ」「沼田《ぬまた》の親類《しんるゐ》もあの五代目が達者《たつしや》の時分《じぶん》は折々《をり/\》尋《たづ》ねて来《き》ましたが、亡《なくな》つて後《のち》は音沙汰《おとさた》はありませぬ、もしお逢《あ》ひになつたら、どうか宜《よろ》しく・……」「何《なん》といふ名前です」「お師匠《ししやう》さん、私《わたし》は年を老《と》つて物おぼえが悪くなつて、よく覚《おぼ》えて居《を》りませぬが、何《なん》でも多《た》の字《じ》の付《つ》く名前でしたが、忘れました」「分《わか》りませぬか」「分《わか》りませぬ」どうも村名《ところ》も分《わか》らず、名前も分《わか》らず、殆《ほとん》ど困りましたけれども、細《こま》かに尋《たづ》ねたら知れぬ事もあるまいと、是《これ》から宅《たく》へ帰《かへ》つて、直《すぐ》に旅立《たびだち》の支度《したく》を始めたから、宅《うち》の者は驚《おどろ》いて、何処《どこ》へ行《ゆ》くといふ。少し理由《わけ》があつて旅をすると云《い》ふと、弟子《でし》や何《なに》かが一|緒《しよ》に行《ゆ》きたがるが、弟子《でし》では少し都合《つがふ》の悪いことがある。宅《たく》に酒井伝吉《さかゐでんきち》といふ車を曳《ひ》く男《をとこ》がある、此男《このをとこ》は力が九|人力《にんりき》ある、なぜ九|人力《にんりき》あるかといふと、大根河岸《だいこんがし》の親類《しんるゐ》の三周《さんしう》へ火事の手伝《てつだ》ひにやつたところが、一人で畳《たゝみ》を一度に九枚|持出《もちだ》したから、九|人力《にんりき》あると私《わたし》が考へた。其《そ》の伝吉《でんきち》を呼《よ》んで、「時に私《わたし》は今度《こんど》下野《しもつけ》から上州《じやうしう》の方《はう》へ行《ゆ》くに就《つい》て、お前《まへ》を供《とも》に連《つ》れて行《ゆ》かうと思ふが、面白《おもしろ》くも何《なん》ともない、ひどい山の中へ行《ゆ》くんだが、行《ゆ》くかえ」「それは有難《ありがた》い、――どんな山の中でも行《ゆ》きます、私《わたし》の生国《しやうこく》は越中《ゑつちう》の富山《とやま》で、反魂丹売《はんごんたんうり》ですから、荷物《にもつ》を脊負《せお》つて、まだ薬《くすり》の広《ひろ》まらない山の中ばかり売《う》つて歩くのです、さうして又《また》翌年《よくねん》其《そ》の山の中を売《う》つて歩くので、山の中は歩きつけて居《を》ります、又《また》私《わたし》は力がありますから、途中《とちう》で追剥《おひはぎ》が五人や六人出ても大丈夫でございます、富山《とやま》の薬屋《くすりや》は風呂敷《ふろしき》を前で本当《ほんたう》に結んでは居《を》りませぬ、追剥《おひはぎ》にでも逢《あ》ふと、直《すぐ》に風呂敷《ふろしき》の結び目がずつと抜《ぬ》けてしまつて、後《うしろ》へ荷物を投《はふ》り出し、直《すぐ》と匕首《あひくち》を抜《ぬ》いて追剥《おひはぎ》と闘《たゝか》ふくらゐでなければ、迚《とて》も薬屋《くすりや》は出来《でき》ませぬ、私《わたし》が行《ゆ》けば大丈夫でございます、御安心なさい」「さうかえ、足は大丈夫かえ」「足は大丈夫でございます、車を引いてゐる位《くらゐ》でございますから」と云《い》ふので、是《これ》から支度《したく》をしまして、両人《りやうにん》で出かけましたが、何《なん》でも歩かなければ実地《じつち》は履《ふ》めませぬ。東京《とうきやう》の内《うち》はうるさいから車に乗つて、千住掃部宿《せんぢうかもんじゆく》で車より下《お》りて、是《これ》から上州《じやうしう》沼田《ぬまた》へ捜《さが》しに行《ゆ》きました。
[#地付き](拠若林※[#「王+甘」、第4水準2−80−65]蔵筆記)



底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
   2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2006年11月15日作成
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