くに》へ帰《かへ》るより仕方《しかた》がない。と云《い》ふと、お前《まへ》さんのやうな生地《いくぢ》のないものはない、預《あづ》けたものを預《あづ》からないと云《い》はれて、はいと云《い》つて帰《かへ》つて来《く》ると云《い》ふのは、何《ど》ういふ訳《わけ》です、殊《こと》に頭《あたま》へ疵《きず》を付《つ》けられて帰《かへ》つて来《く》るとは、余《あんま》り生地《いくぢ》が無《な》さ過《すぎ》る、そんな生地《いくぢ》のない人と連添《つれそ》つてゐるのは嫌《いや》だ、此子《このこ》はお前《まへ》さんの子《こ》だからお前さんが育てるが宜《い》い、私《わたし》はもつと気丈《きぢやう》な人のところへ縁付《かたづ》くから、といふ薄情《はくじやう》な言《い》ひ分《ぶん》、此女《このをんな》は国《くに》から連《つ》れて来《き》たのではない、江戸《えど》で持《も》つた女《をんな》か知れない、それは判然《はつきり》分《わか》らないが、何《なに》しろ薄情《はくじやう》の女《をんな》だから亭主《ていしゆ》を表《おもて》へ突《つ》き出す。男《をとこ》は怨《うら》めしさうに宅《うち》の方《はう》を睨《にら》んで、泣く/\向《むか》うへ行《ゆ》かうとすると、お父《とツ》つアんエーと云《い》つて女の子が追《お》つ掛《か》けて来《く》るから、どうかお母《つか》さんの処《ところ》へ帰《かへ》つてくれ、お父《とツ》つアんは無《な》いものと思つてくれと言ひ聞かせて、泣きながら帰《かへ》る子の後姿《うしろすがた》を見送り、あゝ口惜《くや》しい、二代目の多助《たすけ》といふ奴《やつ》は恐《おそ》ろしい奴《やつ》だ、親父《おやぢ》に金《かね》を預《あづ》けた事を知つてゐながら、預《あづ》かつた覚《おぼ》えはないと云《い》ふのは酷《ひど》い奴《やつ》だ、塩原《しほばら》の家《いへ》へ草を生《は》やさずに置くべきか、と云《い》つて吾妻橋《あづまばし》からドンブリと身を投げた。さうすると円朝《ゑんてう》さん、その死骸《しがい》が何《ど》ういふ潮時《しほどき》であつたか知らないが、流れ/\て塩原《しほばら》の前《まへ》の桟橋《さんばし》へ着いたさうだ。それを店《みせ》の小僧《こぞう》が見付《みつ》けて、土左衛門《どざゑもん》が着《つ》いてゐます土左衛門《どざゑもん》が着《つ》いてゐますと云《い》つて騒《さわ》ぐ。若
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