さんざえもん》の胤じゃないかい、私は子供の時分は清之進《せいのしん》と云うたが、どの人相見に観《み》せても、剣難の相があると云うたに依《よ》って九歳の折《おり》に出家を遂《と》げ、谷中|南泉寺《なんせんじ》の弟子になって玄道、剃髪《ていはつ》をしてから、もう長い間の事じゃ、其の後《ご》嘉永の始《はじめ》に各藩《かくばん》にて種々《さま/″\》の議論が起り、えろうやかましい世の中になった、其の折父早川三左衞門殿には正義を主張して、それはいかぬ、然《そ》ういう道理は無いと云うて殿へ御諫言《ごかんげん》を申上げたる処、重役の為に憎まれて遂には追放仰付けられた、お父様にはそれを口惜《くや》しゅう思召《おぼしめし》てか、邸《やしき》を出てから切腹をして相果《あいはて》られた、続いて母様もお逝去《かくれ》になる時の御遺言に、お前の弟粂之助はまだ頑是《がんぜ》もない小児《しょうに》、外《ほか》に頼る者もないに依って何卒《どうか》お前、丹精をして成人させて呉れとのお頼み、そこで私が寺へ引取って、十一から三ヶ年も貴様の面倒を見てやったが、今もいう通り何分|不如意《ふにょい》じゃに依って御当家へ願うたのも
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