「何故《なぜ》え。弥「づくにゆうでございますツて。長「然《さ》うぢやアねえ、軸《ぢく》に「にゆう」が有《あ》りますと云《い》ふのだ。弥「へえー。長「にゆうを知らんか、道具商《だうぐや》の御飯《おまんま》を喰《く》つてゝ「にゆう」を知らん奴《やつ》もねえもんだ。弥「アハヽヽ何《なん》の事《こつ》た。長「瑾《きず》が出来《でき》たと云《い》つては余《あんま》り素人染《しらうとじみ》るから、瑾《きず》を「にゆう」と云《い》ふが道具商《どうぐや》の通言《あたりまへ》だ。弥「へえ、始《はじ》めて聞いた。長「何《ど》うかすると、お客さまに腰《こし》の物《もの》を出されるかも知れねえ、然《さ》うしたら私《わたくし》は小道具《こだうぐ》の方《はう》とは違ひますゆゑ刀剣《たうけん》の類《るゐ》は流違《りうちが》ひでございますから心得《こゝろえ》ませんが、拝見《はいけん》だけ仰《おほ》せ付《つ》けられて下《くだ》さいましと云《い》つて、先《まづ》頭《かしら》から先《さき》へ眼《め》を附《つ》け、それから縁《ふち》を見て、目貫《めぬき》から何《ど》うも誠にお差《さし》ごろに、定《さだ》めし御中身《おなかみ》は結構《けつこう》な事でございませう、当季《たうき》斯《か》やうな物《もの》は誠に少なくなりましたがと云《い》つて、服紗《ふくさ》を刀柄《つか》へ巻《ま》いて抜《ぬ》くんだよ、先方《むかう》へ刃《は》を向《む》けないやうに、此方《こちら》へ刃《は》を向けて鋩子先《ばうしさき》まで出《で》た処でチヨンと鞘《さや》に収《をさ》め、誠に結構《けつこう》なお品《しな》でございますと、誉《ほ》めながら瑾《きず》を附《つ》けるんだ、惜《を》しい事には揚物《あげもの》でございますつて。弥「へえ天麩羅《てんぷら》かい。長「解《わか》らんのう、長《なが》い刀《み》を揚《あ》げて短くしたのを揚身《あげみ》といふ。弥「矢張《やつぱり》あなごなぞは長いのを二つに切りますよ。長「喰《くら》ひ意地《いぢ》が張《は》つてるな、鑑定《めきゝ》が済《す》むと是《これ》からお茶を立てるんで御広間《おひろま》へ釜《かま》が掛《かゝ》つて居《ゐ》る、お前《めえ》にも二三|度《ど》教へた事も有《あ》つたが、何時《いつ》も飲《の》むやうにして茶碗《ちやわん》なぞは解《わか》りません、何《なん》でございますか誠に結構《けつこう》な御茶碗《おちやわん》でと一々聞いて先方《むかう》に云《い》はせなければなりませんよ、それからぽツぽと烟《けむ》の出るやうなお口取《くちとり》が出るよ、粟饅頭《あはまんぢう》か蕎麦饅頭《そばまんぢう》が出るだらう。弥「へえ、何人前《なんにんまへ》出るえ。長「何人前《なんにんまへ》なんて葬式《とむらひ》ぢやア有《あ》るまいし、菓子器《くわしき》へ乗せて一つよ。弥「たつた一つかア。長「がつ/\喰《く》ふと腹《はら》を見られるは。弥「ぢやア腹掛《はらがけ》をかけて往《い》きませう。長「フヽヽ其《そ》の桟留縞《さんとめじま》の布子《ぬのこ》に、それで宜《よ》い、袴《はかま》は白桟《しろざん》の御本手縞《ごほんてじま》か、変《へん》な姿だ、ハヽヽ、のう足袋《たび》だけ新しいのを持たしてやれ。弥「ぢやア往《い》つて参《まゐ》ります。と火《ひ》の附《つ》きさうな頭髪《あたま》で、年寄《としより》だか若いか分《わか》りません。長「随分《ずゐぶん》茶《ちや》の有《あ》る男《をとこ》だな……草履下駄《ざうりげた》を片《かた》ちんばに履《は》いて往《ゆ》く奴《やつ》があるか、狗《いぬ》がくはへて往《い》つた、外《ほか》に無いか、それではそれで往《い》け、醋吸《すすひ》の三|聖《せい》、孔子《こうし》に老子《らうし》に釈迦《しやか》だよ、天地《てんち》が唐物緞子《からものどんす》、中《なか》が白茶地《しらちやぢ》古錦襴《こきんらん》、風袋一文字《ふうたいいちもんじ》が紫印金《むらさきいんきん》だよ、瑾《きず》の事《こと》がにゆうだよ、忘れちやアいけないよ。弥「へい畏《かしこ》まりました。とぴよこ/\出掛《でか》けましたが、愚《おろ》かしい故《ゆゑ》萬屋《よろづや》五|左衛門《ざゑもん》の表口《おもてぐち》から這入《はい》ればよいのに、裏口《うらぐち》から飛込《とびこ》んで、二|重《ぢう》の建仁寺垣《けんねんじがき》を這入《はい》り、外庭《そとには》を通《とほ》りまして、漸々《やう/\》庭伝《にはづた》ひに参《まゐ》りますと、萱門《かやもん》が有《あ》つて締《し》めてあるのを無理に押したから、閂《かんぬき》が抜《ぬ》け、扉《とびら》が開《あ》く機《はず》みに中《なか》へ転《ころ》がり込《こ》み、泥だらけになつて、青苔《あをごけ》や下草《したくさ》を踏《ふ》み暴《あら》し、辷《すべ》つて転《ころ》んで石燈籠《いしどうろう》を押倒《おしたふ》し、松《まつ》ヶ|枝《え》を折《を》るといふ騒《さわ》ぎで、先程《さきほど》から萬屋《よろづや》の主人《あるじ》は、四|畳《でふ》の囲《かこひ》へ這入《はい》り、伽羅《きやら》を焼《た》いて香《かう》を聞いて居《を》りました。弥吉《やきち》は方々《はう/″\》覗《のぞ》いたが誰《だれ》も居《ゐ》ません。ふと囲《かこひ》へ眼《め》を附《つ》け、弥「此《こ》ん中《なか》に人が居《ゐ》るだらう。と怪《け》しからん奴《やつ》で、指の先へ唾《つば》を附《つ》け、ぷつりと障子《しやうじ》へ穴を開《あ》け覗《のぞ》き見て、弥「いやア何《なに》か喰《く》つて居《ゐ》やアがる。主人「これ、誰《たれ》か来《き》たよ……誰《だれ》だ、其処《そこ》へ穴《あな》を開《あ》けたのは、怪《けし》からん人だな、張立《はりたて》の障子《しやうじ》へぽつ/\穴《あな》を開《あ》けて乱暴《らんばう》な真似《まね》をする、誰《だれ》だな、覗《のぞ》いちやアいかん、誰《だれ》だ。弥「ハヽヽ何《ど》うか怒《おこ》つてやアがる、えヘヽヽ御免《ごめん》なさい。主人「これは驚《おどろ》いた……誰《だれ》か来《こ》いよ、変《へん》な人が来《き》たから……其処《そこ》は這入《はい》る処《とこ》ぢやア有《あ》りません、づか/\這入《はい》つて来《き》ちやアいけません。弥「門《もん》を破《やぶ》つて這入《はい》つた。主人「おゝ/\乱暴狼藉《らんばうらうぜき》で、飛石《とびいし》なぞは狗《いぬ》の糞《くそ》だらけにして、青苔《あをごけ》を散々《さん/″\》に踏暴《ふみあら》し、折角《せつかく》宜《よ》い塩梅《あんばい》に苔《こけ》むした石燈籠《いしどうろう》を倒《たふ》し、松《まつ》ヶ|枝《え》を折《を》つちまひ、乱暴《らんばう》だね……何方《どちら》からお入来《いで》なすつた。弥「アハヽヽ驚《おどろ》いちまつたな……コヽ予々《かね/″\》お招《まね》きになりました半田屋《はんだや》の長兵衛《ちやうべゑ》で。主人「へえー是《これ》は驚《おどろ》き入《い》つた、左様《さやう》とは心得《こゝろえ》ず甚《はなは》だ御無礼《ごぶれい》の段々《だん/″\》何《なん》ともどうも、是《これ》は恐縮千萬《きようしゆくせんばん》……何卒《どうぞ》是《こ》れへ/\速《すみや》かにお通《とほ》りを願ひます、何卒《どうぞ》是《こ》れへ是《こ》れへ。弥「ハヽヽ狭《せま》つこい処《とこ》に這入《はい》つてるな……己《おら》ア手前《てめえ》に禁厭《まじなひ》を教《をし》へてやらうか。主人「ヘヽヽ御冗談《ごじようだん》ばかり……へえ成程《なるほど》……えゝ予々《かね/″\》天下有名《てんかいうめい》のお方《かた》で、大人《たいじん》で在《いら》つしやると云《い》ふ事《こと》は存《ぞん》じて居《を》りましたが、今日《けふ》は萬屋《よろづや》の家《うち》へ始《はじ》めて往《ゆ》くのだから、故意《わざ》と裏口《うらぐち》からお這入《はい》りになり、萱門《かやもん》を押破《おしやぶ》つて散々《さん/″\》に下草《したくさ》をお暴《あら》しになりました所《とこ》の御胆力《ごたんりき》、どうも誠に恐入《おそれい》りました事で、今日《こんにち》の御入来《ごじゆらい》は何《なん》とも何《ど》うも実《じつ》に有難《ありがた》い事《こと》で、大《おほ》きに身《み》の誉《ほま》れに相成《あひな》ります、何卒《どうぞ》速《すみや》かに此方《これ》へ/\。弥「私《わつち》アお前《めえ》にりん病《びやう》が起《おこ》つても直《ぢき》に療《なほ》る禁厭《まじなひ》を教《をし》へて遣《や》らう、縄《なは》を持つて来《き》な、直《ぢき》に療《なほ》らア。主人「はてな…へえゝ。弥「痳病《りんびやう》(尋常《じんじやう》)に縄《なわ》にかゝれと云《い》ふのだ。主人「えへゝゝ御冗談《ごじようだん》ばかり、おからかひは恐入《おそれい》ります、えゝ始めまして……(丁寧《ていねい》に辞儀《じぎ》をして)手前《てまへ》は当家《たうけ》の主人《あるじ》五左衛門《ござゑもん》と申《まう》す至《いた》つて武骨《ぶこつ》もので、何卒《どうか》一|度《ど》拝顔《はいがん》を得《え》たく心得《こゝろえ》居《を》りましたが、中々《なか/\》大人《たいじん》は知らん処《ところ》へ御来臨《ごらいりん》のない事は存《ぞん》じて居《を》りましたが、一|度《ど》にても先生の御入来《おいで》がないと朋友《ほういう》の前《まへ》も実《じつ》に外聞《ぐわいぶん》悪《わる》く思ひます所から、御無礼《ごぶれい》を顧《かへり》みず再度《さいど》書面《しよめん》を差上《さしあ》げましたが、お断《ことわ》りのみにて今日《けふ》も御入来《おいで》は有《あ》るまいと存《ぞん》じましたが、図《はか》らざる所《ところ》の御尊来《ごそんらい》、朋友《ほういう》の者《もの》に外聞《ぐわいぶん》旁《かた/″\》誠に有難《ありがた》い事で恐入《おそれい》ります……何《ど》うもお身装《みなり》の工合《ぐあひ》、お袴《はかま》の穿《はき》やうから更《さら》にお飾《かざ》りなさらん所と云《い》ひ、お履物《はきもの》がどうも不思議《ふしぎ》で、我々《われ/\》が紗綾縮緬《さやちりめん》羽二重《はぶたい》を着ますのは心恥《こゝろはづ》かしい事で、既《すで》に新《しん》五百|題《だい》にも有《あ》ります通《とほ》り「木綿《もめん》着《き》る男子《をのこ》のやうに奥《おく》ゆかしく見え」と実《じつ》に恐入《おそれい》ります、何卒《どうぞ》此方《こちら》へ/\。弥「お前《めえ》さんの処《とこ》から頼《たの》みが有《あ》つたので見に来《き》た。主人「それは誠に恐入《おそれい》ります。弥「手を揃《そろ》へてお辞儀《じぎ》をするんだが何《ど》うだい……此位《このくらゐ》で丁度《ちやうど》揃《そろ》つて居《ゐ》るか居《ゐ》ねえか見てくれ。主人「へゝゝゝ御冗談《ごじようだん》ばかり。弥「揚物《あげもの》が解《わか》るか、揚物《あげもの》てえと素人《しらうと》は天麩羅《てんぷら》だと思ふだらうが、長《なげ》えのを漸々《だん/″\》詰《つ》めたのを揚物《あげもの》てえのだ、それから早く掛物《かけもの》を出して見せなよ、破《やぶ》きアしねえからお見せなせえ、いんきんだむしの附着《くつゝ》いてる箱は川原崎《かはらさき》権《ごん》十|郎《らう》の書《か》いたてえ……えゝ辷《すべ》つて転《ころ》んだので忘れちまつた、醋吸《すすひ》の三|聖《せい》格子《かうし》に障子《しやうじ》に……簾《すだれ》アハヽヽヽ、おい何《ど》うした、確《しつ》かりしねえ。主人《あるじ》五左衛門《ござゑもん》は驚《おどろ》きまして太鼓張《たいこばり》のふすまを開《あ》けて、五「アツ。と口《くち》を開《あ》けたまゝ水屋《みづや》の方《はう》へ飛出《とびだ》しました。弥「おい……ハヽヽ彼方《あつち》へ逃《に》げて往《い》きやアがつた、馬鹿《ばか》な奴《やつ》だなア……先刻《さつき》むぐ/\喰《く》つてゐた粟饅頭《あはまんぢう》……ムンこゝに烟《けむ》の出《で》る饅頭《まんぢう》がある、喰《くひ》かけて
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