浮浪
葛西善蔵

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【テキスト中に現れる記号について】

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぶら/\話しながら
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     一

「また今度も都合で少し遅くなるかも知れないよ。どこかへ行つて書いて来るつもりだから……」と、朝由井ケ浜の小学校へ出て行く伜のFに声をかけたが、「いゝよ」とFは例の簡単な調子で答へた。
 遠い郷里から私につれられて来て建長寺内のS院の陰気な室で二人で暮すことになつてから三月程の間に、斯うした目には度々会はされてゐるので、Fも此頃ではだいぶ慣れて来た様子であつた。私が出先きで苦労にしてゐるほどには気にしてゐない風である。近くの仕出し屋から運んで来るご飯を喰べ、弁当を持つて出かけて、帰つて来ると晩には仕出し屋の二十二になる娘が泊りに来て何かと世話をしてゐて呉れてるのであつた。
 二月一日の午後であつた。鎌倉から汽車に乗り、新橋で下りて、銀座裏のある雑誌社で前の晩徹夜をして書きなぐつた八枚と云ふ粗末な原稿を金に代へ、電車で飯田橋の運送店に勤めてゐる弟を訪ねると丁度退ける時分だつたので、外へ出て早稲田までぶら/\話しながら歩るくことにした。神楽坂で原稿紙やインキを買つた。
「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と、私は弟に云つた。
「うまく書けるといゝですがねえ……」と、斯うした私の計画の度々の失敗を知つてゐる弟は、不安な顔して云つた。
 その晩は弟夫婦の借間の四畳半で弟と遅くまで飲み、その翌日も夕方まで飲んで、六時過ぎ頃の汽車で上野を発つた。水戸へ着いたのは十一時頃であつた。すぐ駅前の宿屋へ飛び込んだ。
 駅前から大洗まで乗合自働車も通つてゐるが、私はやはり那珂川を汽船で下らうと思つた。大洗のK楼と云ふ家に十三年前――丁度Fが郷里で生れた年、半年余り滞在してゐたことがある。やはり無茶な日を送つてゐたものであつた。その家を指して行つて見ようと思つた。川の両岸の竹藪や葦、祝町近くの高い崖、海運橋とか云つた高い長い橋、茶屋と貸座敷ばかし軒を並べた古めかしい感じの祝町を通つて、それから数町の間の松林の中の砂路――それらが懐かしく思はれないでもないのである。が朝一泊の宿料を払つて見ると、私の財布の中が余りに心細く思はれ出した。それに曇つた、今にも雪でも降り出しさうな、寒い厭な天気だつたので、私はまた一時間ばかし汽車に乗つて助川駅に下りた。そして町の方に小さな呉服屋を出してゐる内田を訪ねて行つた。
 場末の、小さな茅葺屋根の家で、店さきの瀬戸物の火鉢を前にして、内田は冴えない顔色してぼんやり往来を眺めてゐた。小さな飾窓には二三反の銘仙物や半襟など飾られ、店には安物の木綿縞やネルなど見すぼらしく積まれてゐた。七八年前彼が兄の家から分家して開店した時分私が一寸訪ねたことがあつたが、その時分と較べてさつぱり品物が殖えたやうにも見えなかつた。
「どうして来たの?」と、彼は私の顔を疑ぐり深い眼して視ながら云つた。
「いや実は……」と私は訪ねて来た事情を話して、「そんな訳だからどこか十日ばかし置いて呉れるやうな宿屋を案内して貰ひたいんだがね……」
「まあそれではあがり給へ」と云つて、次ぎの室の長火鉢の傍へあげた。
 この前会つた細君を離縁して、一昨年小学教師の娘の若い細君を貰つたが、半月程前女の子を産んだと云つて、細君は赤んぼと蒲団に寝てゐた。近所から手伝ひに来てゐる細君の妹だと云ふ十七八の娘が酒の用意をした。内田は飲めない方だが私の相手をして、その間に細君の湯たんぽやおしめの取代へなどにまめ/\しく動いてゐた。内田は私より一つ年上の三十六で、初めて父親になつたのであつた。
 丁度節分の日であつた。三時頃から雪が降り出した。日が暮れてから私たちは小僧が「福は内鬼は外!」と大きな声で叫びながら豆撒きしてるのを聞きながら外へ出た。海岸の宿屋まで十町ばかしの間雪に吹かれながら歩るいた。
 その晩は案内されたS閣と云ふ宿屋で、私たちは、芸者やお酌をよんで飲んだり騒いだりした。「お客さんを五六日……」斯う内田は宿のお内儀に云つた。
 家構へも大きく、室数もかなりあつて、殺風景な庭ながら大きな池もあつた。座りながら障子のガラス越しに青い海が眺められた。が海水浴専門の場所なので私のほかには客は一人もなかつた。女中もゐなかつた。老夫婦と若夫婦と風呂番の爺さんとご飯炊き――それだけであつた。この村での相当の地主だつたが十年程前に自分所有の田を埋めて普請をして今の商売をやり出したのだと云ふ赭ら顔の、頭の禿げた六十近い主人は、頬髯など厳めしく生やして、中風で不自由な足して、日向の庭へ出ては、悪戯好きな若い犬を叱りつけたりなどしてゐた。若主人は養子であつた。それが料理番をした。一人娘の若いお内儀は子の無い三十近い女で、平べつたい赭ら顔のがさつな女であつた。「あなたは、こゝへ斯う云ふ風に頬髯を生やすと、あなたのお父さんそつくりですね」と、私は両手で自分の頬に鐘馗髯を描く手真似をして、余り応柄なのが癪に障つて酔つた時に云つてやつたことがあつた。何事にもつけ/\云ふ彼女も、さすがに怯んだ態であつた。

     二

 雪の中なぞ歩るいたせゐか、私はその翌日から風心地で、昼間は寝床の中で過し、夕方近くなつて起きては遅くまで酒を飲んだ。雪がかなり積つてゐた。ひとりで波の音を聞きながら酒を飲んでゐると、Fのことがしきりに思ひ出されて来る。鎌倉の方でも降つたゞらうが、寺から学校までは十五町程もあるので、今朝は困つたゞらうと云ふやうなことが考へられる。昨年の暮に死んだ従兄のことが考へ出されてならない。……
 その従兄のことを、私は前にある雑誌へ発表した未完原稿の続きとして書くつもりであつた。がその原稿では私はかなり手古摺つてゐた。書く気分はまつたく無くなつてゐるのだが、投つて了ふ訳に行かない事情もあつた。それで、今度はどんなことをしても、二十枚でも三十枚でも書いて帰らねばならないと思つた。その原稿が書けない為めに、此頃の私の気持がかなり不自由なものにされてゐた。その原稿では多く知人の悪口めいたことばかし書き立てたので、そんなことが祟つて、それで斯う書けないのではないか知らと、私は呪はれてゐるやうな気さへしたのだ。
 三日目の晩私はいよ/\思ひ切つて晩酌をやめて、二時過ぎまで机に向つて六七枚書いた。その朝、朝昼兼帯のお膳を持つて来たお内儀が、私が箸を置くのを待つて、
「今日は旧の大晦日だもんですから、払ひの都合もあるもんですから、ご勘定を頂きたいと申して居るんですが……」と云ひ出した。
「さうですか。それは困りましたね。実は私は金は持つてないんですがね、それで内田君に頼んでつれて来て貰つたやうな訳なんですが……」
「いや、それはね、内田さんがつれて来て下すつたお客さんのことですから、内田さんから頂戴すれば手前の方では差支えない訳なんですけどね、ご都合でどうかと思ひましたものですからね、それに内田さんとは顔は知つてると云ふだけで大して懇意と云ふ訳でもありませんし、あの人の停車場前の兄さんの店からは近いのでちよい/\した買物位ゐはしてるんですが、あの内田さんの方とはそんなこともないんですからね……」とお内儀は厭な顔して云つて、内田のこともひどく見縊つた様子を見せた。
「いや決して御迷惑をかけるやうなことはありませんから。少し急ぎの仕事があつて来たのですが、この通りあと五六日で書きあがるのですから……」と、私は茶湯台の上の原稿を見せて弁解するやうに云つた。
「一体内田さんとはどんなお知合なんですか……お友達でゝも?」と、お内儀は二人の職業や風体の相違から二人の関係を不審に考へてる風でもあつた。
「え、旧い友人なんですよ」と、私は云ふほかなかつた。
「あの人、兄さんや親御さんたちともちつとも似てゐませんね」
「さうですか。僕親御さんたちのことはよく知らないが、兄さんとは似てゐないやうだけど、親御さんたちともさうですか」
「えゝ親御さんたちもあんな顔はしてゐませんよ」お内儀は斯んなやうなことまで云つてお膳をさげて出て行つた。
 内田の人相のことなど余計な話ぢやないかと、私は鳥渡した反感を抱かされたが、兎に角内田も余り信用されてなさゝうなのが心細く思はれた。が今の自分の話でお内儀は納得したことゝ思つて机に向つてゐると、夕方内田は気忙しさうな様子でやつて来て、
「こんな手紙が来たよ」と、宿からの手紙を懐ろから出した。
「さうか。やつぱし何とかやかましいことを云つてるのか」と、私は手紙を読んで見たが、成程なか/\鹿爪らしい文句を並べ立てゝゐた。毎晩遅くまで酒を飲み、日中もおやすみになり――云々と云つたやうな文句も見えた。
「この通りやう/\書き始めたところなんだから、もう五六日のところ君から話して呉れよ」
「何枚位ゐ出来たんだ?」
「いや昨晩から書き出したんでまだ六七枚しか書いてないが、これからずん/\書けるんだから」
「ぢや兎に角帳場へ行つて話して来よう」
 それで、五六日延期と云ふことになり、其後二晩ばかし徹夜などして十五六枚まで書き続けたところ、パツタリと筆が進まなくなつた。晩酌をやめたり徹夜なんかの習慣がほとんどなかつたのに、二晩も続けた為めに頭も身体の調子もすつかり狂はして了つた。一二日ぼんやり机の上を眺めてゐたが厭になつて原稿を破ぶいて了つた。その晩私は自棄気味で酒を飲んでゐると内田がやつて来た。
「気に入らなくて破ぶいたが二三日にも二三十枚でも書きあげるつもりだから心配するなよ。どうせ金が足りなければ僕の小さな本の版権でも売つて払ひをするから。何しろこの原稿では実に厭になつてるんで、金の問題でなくどうしても今度は片附けて帰りたいと思つてるんだから……」
「いや実は今帳場へも寄つて来たんだがね、何しろ七十円からになつてるさうだからね、それに君は遅くまで酒を飲んでは芸者々々なんて云ふてんで、ひどく厭がつてるやうだから、兎に角ひと勘定して貰ひたいと云ふんだがね……」
「そいつは困つたね。兎に角君からもう一度話して呉れよ。何だつたら明日東京の本屋へ手紙を出して交渉してもいゝから」
 二人で帳場へ行つて話をすることにしたが、何しろ私はひどく酔つてゐたので、却つてまずい印象を与へることになつたらしい。がその晩の事は私にはよく分らなかつた。それで其翌朝はいつになく早起きして、机に向ふ気になつた。
「ゆうべはすつかり酔払つて了つてよく分らなかつたが、内田君何とか云つてゐましたか?」と、私はお膳を持つて来たお内儀に訊いた。
「え、今日お見えになる筈です。今に見えませう」と、お内儀も何気ない顔して云つた。
 晴れたいゝ天気であつた。海が青く輝いてゐた。床の間の大花瓶の梅が二三輪綻びかけたのも風情ありげに見えた。猟銃の音など聞えた。斯んな気持なら書けるぞ! と云ふ気がされた。あの不幸な従兄が最後まで人をも世をも怨まず、与へられた一日々々の生を感謝するやうな気持で活きてゐた静かな謙遜な心境が同感出来るやうな思ひが、私の胸にも動きかけてるのを感じた。「これでいゝのだ。斯う云ふ気持で素直に書いて行けばいゝのだ」斯う思つて私はまた新らしく原稿紙に題を書きつけた。この小説で私は従兄の霊に懺悔したいことがあるのだが、世間的な羞恥心から私はいつも躊躇を感じてゐる。それで彼の霊魂から責められてる気がする。霊魂を欺くことは出来ない。霊魂を否定したところが、自分の良心の苦痛は去らない。私がこの小説を書き続けられないのは単に技巧などで困つて居るせゐではなく、さうした根本的な欠陥、自責の念から書き渋つて了ふのらしい。やつぱし素直な謙遜な気持にならなければいけないと思つた。さう思ふと気分が軽くなつて、筆を持つ勇気が出て来た。斯うして雑念を去つて机に向つてゐられると云ふことだけでもたいへんな幸福なことではないか、さう思つて二三枚書き続けて行つた。
 が午後内田がやつて来て、帳場で相談でもし
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