を喰べて、午後の二時頃までと決心を極めて、机の上の原稿紙を風呂敷につゝみ、静座をして心を落付けてゐた。
 が一時近い頃であつた、女中が廊下を駈けて来て、「来ましたよ!」と云つて電報為替の封筒を持つて這入つて来た。来たのが不思議だと云つた顔して私の顔を視た。
「幾ら来たの?」と、女中は田舎者の馴れ/\しさで云つた。
「二十円と云つてやつたんぢやないか」と、私も嬉しさを隠して当然のことのやうに云つた。
 早速質受けを頼んだ。あとに十円残る勘定である。昨日内田に断つてよかつたと思つた。私はこの金を宿に渡して、東京の本屋と交渉を始めようかとも思つて見た。この宿の人達は私の気に入つてゐた。私はやはりこの宿で原稿を書きあげて帰らうかとも思つた。このまゝ空手で帰るのが如何にも残念に思はれ、またこゝを出てどこに落付けると云ふ当もない気がした。が一方またこれ以上こゝに踏み止まると云ふことは、少し駄々張り過ぎるやうな気もされた。
「どうしたものでせう、僕その金を渡して置いて、その間に別なところから金を取寄せて仕事を片附けて帰りたい気もするんですがねえ?」と、お内儀に相談的に云つて見た。
「さうですねえ、しかし何でせう、斯う云ふことの後ですからねえ、却つてお気持よくお発ちになつた方がいゝでせうが」と、お内儀も穏かな調子で云つた。
「さうですね。ではやつぱし発つことにしませう」
 私も斯う云つて、気持よくそのM屋を出た。

     五

 一時幾らの汽車で助川を発つたのであつたが、ふと思ひついて、かなり躊躇されたのであつたが、途中のA駅で下りた。そこには私には未見の人ではあるがS氏と云ふ有名な作家が別荘生活をしてゐる。私はその人を訪ねて、事情を話してどこか宿屋を紹介して貰はうと思つたのだ。余りに残念でもあり、弟夫婦に会はせる顔もない気がされるのだ。停車場前に俥がゐないので、私は道を訊ねて歩るいて行つた。五時近くで寒い風が吹いてゐた。寂れた感じの町であつた。四五町も行つて、教へられた火の見櫓の下から右に細い路を曲つて畠へ出て、ぬかるみの路を二三町来てまた右に岐れて沼の方へとだら/\と下りて行つたが、すぐそこの百姓家の上の方にペンキ塗の小さな建物があるので、多分それだらうと思つて垣根の廻りを一廻りしたが、門らしいものがなく、人の住んでるらしい気配もないので、また畠の中の路に出て、それから小学校の建物にぶつかつたり、やう/\一人の百姓に会つて、あれがさうだと茅葺屋根の家を教へられて麦畑の中を行つて見ると違つた人の名札であり、それから諦めて引返しかけると、他所行きの身装をした百姓の内儀さんらしい女に会つて、東京の人の別荘ならもつと先だと教へられ、今度こそはと松林の中など通つて行つて見ると、新らしい建物の玄関が締つてゐて門内には下駄の跡もないので、それでは東京へ引揚げてゐるのだらうと引返しかけたが念の為めに門前の百姓家に声をかけて訊いて見ると、さつきの茅葺屋根の家の前の小径を下りて沼の畔に出るのだと教へられた。
「Sさんは此頃お見えになつてるやうですか?」と、私はその爺さんに訊いた。
「二三日前にお見かけしましたが、多分居りますでせう」
 もうすつかり暮色が立こめてゐた。私はまた引返して麦畑の中を通つてさつきの茅葺屋根の家の前の小径を下りて行つたが、かなりの大きさらしい沼を前にして、一軒の百姓家に並んでS氏の質素な建物の別荘があつた。斯うしてやう/\のことで尋ね当てたが、勇気が挫けて、しばらく玄関の外に立つてゐたが、思ひ切つて声をかけた。すると年増の女中らしい人が出て来て、
「東京へ行つてゝお留守ですが、明日は帰る筈です」と云つた。
「さうですか。では失礼しました。……私はKと云ふ者ですが」
「Kさん……?」
「さうです。実は初めてあがつた者ですが、……失礼しました」
 私は斯う云つて、名刺も置かず逃げるやうにあわてゝ引返して、ホツと太息を吐いた。留守でよかつたと思つた。斯うした行動が耻ぢられた。が思ひ立つたことは兎に角一度はぶつかつて見なければ気の済まない、抑制を知らない自分の性質を知つてゐる私は、これも仕方がない、これで遺憾なく失敗して東京へ帰れるのだと思ふと、心が慰められる気がした。そして駈けるやうに暗いぬかるみの路を急いだが、やつぱし最初に見たペンキ塗りの家の方へ出て来た。ぐる/\と円を描くやうにして、狐につまゝれた人間のやうにそこら中を歩るいてゐた訳である。
 弟のところに着いたのは九時過ぎであつた。彼は遅く帰つて来て今ご飯を済ましたばかりだと云つて、疲れた顔をしてゐた。
「いや、とんだ目に会つて来た」と、私は無頓着な調子で云つたが、心から弟夫婦に申訳ない気がした。
 最初の電報は何枚かの附箋がついて夜遅く配達になつてゐた。弟はその翌日の昼頃電報為
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