彼は感心したように首肯《うなず》いて警部の話を聞いていたが、だん/\と、この男がやはり、自分のことをもその鉄の鎖で縛った気で居るのではないか知らという気がされて来て、彼は言いようのない厭悪と不安な気持になって起ちあがろうとしたが、また腰をおろして、
「それでね、実は、君に一寸相談を願いたいと思って来たんだがね、どんなもんだろう、どうしても今夜の七時限り引払わないと畳建具を引揚げて家を釘附けにするというんだがね、何とか二三日延期させる方法が無いもんだろうか。僕一人だとまた何でもないんだが、二人の子供をつれて居るんでね……」
 しばらくもじ/\した後で、彼は斯う口を切った。
「そりゃ君不可んよ。都合して越して了い給え。結局君の不利益じゃないか。先方だって、まさか、そんな乱暴なことしやしないだろうがね、それは元々の契約というものは、君が万一家賃を払えない場合には造作を取上げるとか家を釘附けにするとかいうことになって居るんではないのだからね、相当の手続を要することなんで、そんな無法なことは出来る訳のものではないがね、併し君、君もそんなことをしとってもつまらんじゃないか。君達はどう考えて居るか知らんがね、今日の時勢というものは、それは恐ろしいことになってるんだからね。いずれの方面で立つとしても、ある点だけは真面目にやっとらんと、一寸のことで飛んでもないことになるぜ。僕も職掌柄いろ/\な実例も見て来てるがね、君もうっかりしとると、そんなことでは君、生存が出来なくなるぜ!」
 警部の鈍栗眼《どんぐりまなこ》が、喰入るように彼の額に正面《まとも》に向けられた。彼はたじろいだ。
「……いや君、併し、僕だって君、それほどの大変なことになってるんでもないよ。何しろ運わるく妻が郷里に病人が出来て帰って居る、……そんなこんなでね、余り閉口してるもんだからね。……」
「……そう、それが、君の方では、それ程大したことではないと思ってるか知らんがね、何にしてもそれは無理をしても先方の要求通り越しちまうんだな。これは僕が友人として忠告するんだがね、そんな処に長居をするもんじゃないよ。それも君が今度が初めてだというからまだ好いんだがね、それが幾度もそんなことが重なると、終いにはひどい目に会わにゃならんぜ。つまり一種の詐欺だからね。家賃を支払う意志なくして他人の家屋に入ったものと認められても仕方が無
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