「君の処へも山本山が行ったろうね?」と訊いた。
「あ貰ったよ。そう/\、君へお礼を云わにゃならんのだっけな」
「お礼はいゝが、それで別段異状はなかったかね?」
「異状? ……」彼にもKの云う意味が一寸わからなかった。
「……だと別に何でもないがね、僕はまた何処か異状がありやしなかったかと思ってね。……そんな話を一寸聞いたもんだから」
斯う云われて、彼の顔色が変った。――鑵の凹みのことであったのだ。
それは、全く、彼にも想像にも及ばなかった程、恐ろしい意外のことであった。鑵の凹みは、Yが特に、毎朝振り慣れた鉄唖鈴《てつあれい》で以て、左りぎっちょ[#「左りぎっちょ」に傍点]の逞しい腕に力をこめて、Kの口調で云うと、「えゝ憎き奴め!」とばかり、殴りつけて寄越したのだそうであった。
「……K君そりゃ本当の話かね? 何でまたそれ程にする必要があったんかね? 変な話じゃないか。俺はYにも御馳走にはなったことはあるが、金は一文だって借りちゃいないんだからな……」
斯う云った彼の顔付は、今にも泣き出しそうであった。
「だからね、そんな、君の考えてるようなもんではないってんだよ、世の中というものはね。もっと/\君の考えてる以上に怖ろしいものなんだよ、現代の生活マンの心理というものはね。……つまり、他に理由はないんさ、要するに貧乏な友達なんか要らないという訳なんだよ。他に君にどんな好い長所や美点があろうと、唯君が貧乏だというだけの理由から、彼等は好かないというんだからね、仕様がないじゃないか。殊にYなんかというあゝ云った所謂道徳家から見ては、単に悪病患者視してるに堪えないんだね。機会さえあればそう云った目障りなものを除き去ろう撲滅しようとかゝってるんだからね。それで今度のことでは、Yは僕のこともひどく憤慨してるそうだよ。……小田のような貧乏人から、香奠なんか貰うことになったのも、皆なKのせい[#「せい」に傍点]だというんでね。かと云って、まさか僕に鉄唖鈴を喰わせる訳にも行かなかったろうからね。何しろ今の娑婆というものは、そりゃ怖ろしいことになって居るんだからね」
「併し俺には解らない、どうしてそんなYのような馬鹿々々しいことが出来るのか、僕には解らない」
「そこだよ、君に何処か知ら脱《ぬ》けてる――と云っては失敬だがね、それは君は自分に得意を感じて居る人間が、惨めな相手の一寸し
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