に、この命を進《まい》らせんと、思ふ心のあればのみ。かくて今宵図らずも、殿たち二匹の物語を、鴨居の上にて洩《も》れ聞きつ。さても嬉しや今宵こそ、御恩に報ゆる時来れと、心|私《ひそ》かに喜ぶものから。今殿たちが言葉にては、とても妾を牙《きば》にかけて、殺しては給はらじと、思ひ定めつさてはかく、われから咽喉《のど》を噛《か》みはべり。恩のために捨る命の。露ばかりも惜しくは侍らず。まいてや雄は妾より、先立ち登る死出の山、峰に生《お》ひたる若草の、根を齧《かじ》りてやわれを待つらん。追駆け行くこそなかなかに、心楽しく侍るかし。願ふはわが身をこのままに、天麩羅とやらんにしたまひて、彼の聴水を打つて給《た》べ。日頃|大黒天《だいこくてん》に願ひたる、その甲斐ありて今ぞかく、わが身は恩ある黄金ぬしの、御用に立たん嬉れしさよ。……ああ苦しや申すもこれまで、おさらばさらば」ト夕告《ゆうつげ》の、とり乱したる前|掻《か》き合せ。西に向ふて双掌《もろて》を組み、眼《まなこ》を閉ぢてそのままに、息絶えけるぞ殊勝なる。
二匹の犬は初《はじめ》より耳|側《そばた》てて、阿駒《おこま》が語る由を聞きしが。黄金丸は
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