、彼《かの》時命を惜みしは、妾が常ならぬ身なればなり。もし妾も彼処《かしこ》に出でて、虎と争ひたらんには。雄と共に殺されてん。さる時は誰《たれ》か仇をば討つべきぞ。結句《つまり》は親子三匹して、命を捨《すつ》るに異ならねば、これ貞に似て貞にあらず、真《まこと》の犬死とはこの事なり。かくと心に思ひしかば、忍びがたき処を忍び、堪《こら》えがたきを漸《ようや》く堪えて、見在《みすみす》雄を殺せしが。これも偏《ひと》へに胎《はら》の児《こ》を、産み落したるその上にて。仇を討たせんと思へばなり。さるに妾不幸にして、いひ甲斐《がい》なくも病に打ち臥《ふ》し、已《すで》に絶えなん玉の緒を、辛《から》く繋《つな》ぎて漸くに、今この児は産み落せしか。これを養育《はぐく》むこと叶《かな》はず、折角頼みし仇討ちも、仇になりなん口惜しさ、推量なして給はらば、何卒《なにとぞ》この児を阿姐《あねご》の児となし、阿姐が乳《ち》もて育てあげ。他《かれ》もし一匹|前《まえ》の雄犬となりなば、その時こそは妾が今の、この言葉をば伝へ給ひて、妾がためには雄の仇、他《かれ》がためには父の仇なる、彼の金眸めを打ち取るやう、力に成
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