かかる事を作《な》すにやト、更に心に落ちざりしに、今爾が言葉によりて、他《かれ》が狼藉の所以《ゆえ》も知りぬ。然るに他《かれ》今日もまた、同じ処に忍びゐて。われを射んとしたりしかど。此度《こたび》もその矢われには当らず、肩の辺《あたり》をかすらして、後の木根《きのね》に立ちしのみ」ト。聞くに聴水は歯を咬切《くいしば》り、「口惜しや腹立ちや。聴水ともいはれし古狐が、黒衣ごとき山猿に、阿容々々《おめおめ》欺かれし悔しさよ。かかることもあらんかと、覚束なく思へばこそ、昨夕《ゆうべ》他が棲《す》を訪づれて、首尾|怎麼《いか》なりしと尋ねしなれ。さるに他《かれ》事もなげに、見事仕止めて帰りぬト、語るをわれも信ぜしが。今はた思へば彼時に、躯《むくろ》は人間《ひと》に取られしなどと、いひくろめしも虚誕《いつわり》の、尾を見せじと思へばなるべし。かくて他われを欺きしも、もしこの後《のち》和殿に逢ふことあらば、事|発覚《あらわ》れんと思ひしより、再び今日も森に忍びて、和殿を射んとはしたりしならん。それにて思ひ合すれば、さきに藪陰にて他に逢ひし時、太《いた》く物に畏《お》ぢたる様子なりしが、これも黄金ぬしに追はれし故なるべし。さりとは露ほども心付かざりしこそ、返す返すも不覚なれ。……ああ、これも皆聴水が、悪事の報《むくい》なりと思へば、他を恨みん由あらねど。這奴《しゃつ》なかりせば今宵もかく、罠目《わなめ》の恥辱はうけまじきに」ト、悔《くい》の八千度百千度《やちたびももちたび》、眼を釣りあげて悶《もだ》えしが。ややありて胸押し鎮《しず》め、「ああ悔いても及ぶことかは。とてもかくても捨《すつ》る命の、ただこの上は文角ぬしの、言葉にまかせて金眸が、洞の様子を語り申さん。――そもかの金眸大王が洞は、麓を去ること二里あまり、山を越え谷を渉《わた》ること、その数幾つといふことを知らねど。もし間道より登る時は、僅《わずか》十町ばかりにして、その洞口《ほらのくち》に達しつべし。さてまた大王が配下には、鯀化《こんか》(羆《ひぐま》)黒面《こくめん》(猪《しし》)を初めとして、猛き獣|們《ら》なきにあらねど。そは皆各所の山に分れて、己《おの》が持場を守りたれば、常には洞の辺《ほとり》にあらずただ僕《やつがれ》とかの黒衣のみ、旦暮《あけくれ》大王の傍《かたわら》に侍りて、他《かれ》が機嫌を取《とる》ものか
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