るも、やはかその計《て》に乗るべきぞ」ト、いへば聴水|頭《こうべ》を打ちふり、「その猜疑《うたがい》は理《ことわり》なれど、僕《やつがれ》すでに罪を悔い、心を翻へせしからは、などて卑怯《ひきょう》なる挙動《ふるまい》をせんや。さるにても黄金ぬしは、怎麼《いか》にしてかく恙《つつが》なきぞ」ト。訝《いぶか》り問へば冷笑《あざわら》ひて、「われ実《まこと》に爾《なんじ》に誑《たばか》られて、去《いぬ》る日|人間《ひと》の家に踏み込み、太《いた》く打擲《ちょうちゃく》されし上に、裏の槐《えんじゅ》の樹《き》に繋《つな》がれて、明けなば皮も剥《はが》れんずるを、この鷲郎に救ひ出《いだ》され、危急《あやう》き命は辛く拾ひつ。その時足を挫《くじ》かれて、霎時《しばし》は歩行もならざりしが。これさへ朱目《あかめ》の翁《おきな》が薬に、かく以前《もと》の身になりにしぞ」ト、足踏《あしぶみ》して見すれば。聴水は皆まで聞かず、「いやとよ、和殿が彼時《かのとき》人間《ひと》に打たれて、足を傷《やぶ》られたまひし事は、僕|私《ひそ》かに探り知れど。僕がいふはその事ならず。――さても和殿に追はれし日より、わが身|仇敵《かたき》と附狙《つけねら》はれては、何時《いつ》また怎麼なる事ありて、われ遂に討たれんも知れず。とかく和殿を亡き者にせでは、わが胸到底安からじト、左様右様《とさまこうさま》思ひめぐらし。機会《おり》を窺《うかが》ふとも知らず、和殿は昨日彼の痍《きず》のために、朱目の翁を訪れたまふこと、私《ひそ》かに聞きて打ち喜び。直ちにわが腹心の友なる、黒衣と申す猿に頼みて、途中に和殿を射させしに、見事仕止めつと聞きつるが。……さては彼奴《きゃつ》に欺かれしか」ト。いへば黄金丸|呵々《からから》と打ち笑ひ、「それにてわれも会得したり。いまだ鷲郎にも語らざりしが。昨日朱目が許より帰途《かえるさ》、森の木陰を通りしに、われを狙ふて矢を放つものあり。畢竟《ひっきょう》村童們《さとのこら》が悪戯《いたずら》ならんと、その矢を嘴《くち》に咬《く》ひ止めつつ、矢の来し方《かた》を打見やれば。こは人間と思ひのほか、大《おおい》なる猿なりければ。憎《にっく》き奴めと睨《にら》まへしに、そのまま這奴《しゃつ》は逃げ失《う》せぬ。されどもわれ彼の猿に、意恨《うらみ》を受くべき覚《おぼえ》なければ、何故《なにゆえ》
前へ 次へ
全45ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
巌谷 小波 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング