※[#「穴/果」、第3水準1−89−51]宿《とや》近く往かんとする時、他《かれ》目慧《めざと》くも僕を見付《みつけ》て、驀地《まっしぐら》に飛《とん》で掛《かか》るに、不意の事なれば僕は狼狽《うろた》へ、急ぎ元入りし垣の穴より、走り抜けんとする処を、他《かれ》わが尻尾《しりお》を咬《くわ》へて引きもどさんとす、われは払《はらっ》て出でんとす。その勢にこれ見そなはせ、尾の先少し齧《か》み取られて、痛きこと太《はなはだ》しく、生れも付かぬ不具にされたり。かくては大切なるこの尻尾も、老人《としより》の襟巻《えりまき》にさへ成らねば、いと口惜しく思ひ侍れど。他は犬われは狐、とても適《かな》はぬ処なれば、復讐《あだがえし》も思ひ止《とど》まりて、意恨《うらみ》を呑《のん》で過ごせしが。大王、僕《やつがれ》不憫《ふびん》と思召《おぼしめ》さば、わがために仇《あだ》を返してたべ。さきに獲物を進《まいら》せんといひしも、実《まこと》はこの事願はんためなり」ト、いと哀れげに訴《うったう》れば。金眸は打点頭《うちうなず》き、「憎き犬の挙動《ふるまい》かな。よしよし今に一攫《ひとつか》み、目に物見せてくれんずほどに、心安く思ふべし」ト、かつ慰めかつ怒り、やがて聴水を前《さき》に立てて、脛《すね》にあまる雪を踏み分けつつ、山を越え渓《たに》を渉《わた》り、ほどなく麓に出でけるに、前《さき》に立ちし聴水は立止まり、「大王、彼処《かしこ》に見ゆる森の陰に、今煙の立昇《たちのぼ》る処は、即ち荘官《しょうや》が邸《やしき》にて候が、大王自ら踏み込み給ふては、徒《いたず》らに人間《ひと》を驚かすのみにて、敵《かたき》の犬は逃げんも知れず。これには僕よき計策《はかりごと》あり」とて、金眸の耳に口よせ、何やらん耳語《ささやき》しが、また金眸が前《さき》に立ちて、高慢顔にぞ進みける。

     第二回

 ここにこの里の荘官《しょうや》の家に、月丸《つきまる》花瀬《はなせ》とて雌雄《ふうふ》の犬ありけり。年頃|情《なさけ》を掛《かけ》て飼ひけるほどに、よくその恩に感じてや、いとも忠実《まめやか》に事《つか》ふれば、年久しく盗人《ぬすびと》といふ者|這入《はい》らず、家は増々《ますます》栄えけり。
 降り続く大雪に、伯母《おば》に逢ひたる心地《ここち》にや、月丸は雌《つま》諸共《もろとも》に、奥なる広庭
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