#ここで割り注終わり])の智勇ありとも、わが大王に牙向《はむか》はんこと蜀犬《しょっけん》の日を吠《ほ》ゆる、愚を極めし業《わざ》なれども。大王これを聞《きこ》し召して、聊《いささ》か心に恐れ給へば、佻々《かるがる》しくは他出《そとで》もしたまはず。さるを今《いま》和主が、一|箭《ぜん》の下《もと》に射殺《いころ》したれば、わがために憂《うれい》を去りしのみか、取不直《とりもなおさず》大王が、眼上《めのうえ》の瘤《こぶ》を払ひしに等し。今より後は大王も、枕を高く休みたまはん、これ偏《ひと》へに和主が働き、その功実に抜群なりかし。われはこれより大王に見《まみ》え、和主が働きを申上げて、重き恩賞得さすべし。」とて、いと嬉しげに立去りけり。

     第十一回

 かくて聴水は、黒衣《こくえ》が棲居《すみか》を立出でしが、他《かれ》が言葉を虚誕《いつわり》なりとは、月に粲《きら》めく路傍《みちのべ》の、露ほども暁得《さと》らねば、ただ嬉しさに堪えがたく、「明日よりは天下晴れて、里へも野へも出らるるぞ。喃《のう》、嬉れしやよろこばしや」ト。永《なが》く牢《ひとや》に繋《つなが》れし人間《ひと》の、急に社会《このよ》へ出でし心地して、足も空に金眸《きんぼう》が洞《ほら》に来《きた》れば。金眸は折しも最愛の、照射《ともし》といへる侍妾《そばめ》の鹿を、辺《ほとり》近くまねき寄《よせ》て、酒宴に余念なかりけるが。聴水はかくと見るより、まづ慇懃《いんぎん》に安否を尋ね。さて今日|斯様《かよう》のことありしとて、黒衣が黄金丸を射殺せし由を、白地《ありのまま》に物語れば。金眸も斜《ななめ》ならず喜びて、「そは大《おおい》なる功名《てがら》なりし。さばれ爾《なんじ》何とて他《かれ》を伴はざる、他に褒美《ほうび》を取らせんものを」ト、いへば聴水は、「僕《やつがれ》も然《しか》思ひしかども、今ははや夜も更《ふ》けたれば、今宵は思ひ止《とど》まり給ふて、明日の夜更に他をまねき、酒宴を張らせ給へかし。さすれば僕明日里へ行きて、下物《さかな》数多《あまた》索《もと》めて参らん」ト、いふに金眸も点頭《うなず》きて、「とかくは爾よきに計らへ」「お命《おせ》畏《かしこ》まり候」とて。聴水は一礼なし、己《おの》が棲居《すみか》へ帰りける。
 さてその翌朝《あけのあさ》、聴水は身支度《みじたく》なし、里の
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