ればならぬやうになつた。そこで今までは朝廷と臣民は遙に離れて居つて、君臣ではあるが情誼が通じない。然るに武藏の誰、上總の誰と云ふ莊園を持つて居る者は其處へ土着してさうして百姓を育てゝ兵隊にして手柄があれば褒める、罪があれば殺す、恩威並に施すので土着の豪族と其莊園の中の人民との間に自然に君臣の關係が出て來た。此人に服從して手柄があれば褒められる、嬉しいことである。惡いことをすれば殺される、恐しいことだと云ふので、所謂君臣の關係が出て來た。それが段々數十年重なると君臣の情誼が出來て來て、君の爲には討死しなければならぬものだと云ふやうなことになり、其處から一種の道徳が出て來た。西洋の諺に光は堅いものが打當つたときに出る、道徳も戰爭から生れると云ふ言葉があります。其頃は將門も居れば那須與一も居ると云ふやうな譯で始終小戰爭が絶えない。其小戰爭の中から結束して戰ふ、結束して主に叛かないと云ふ道徳、主君の命令に叛かぬと云ふ道徳、戰場に出ては汚いことをしないで、敵を殺すのにも立派に殺さなければならぬと云ふやうな所謂英語で言ふとコード・オヴ・オノア、日本語で言ふと戰場の手前で、所謂戰場の手柄は唯敵の足を
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