て、宜しい、然らば日本の立場を書くと云ふので歸つて來まして、自分の友人として君が一番適任であるからそれを書かぬかと云ふことを私に勸めました。それが土臺となつて私が日本經濟史を書いたのであります。是は獨りルボンばかりではない。日本の事が分つて居るやうな學者でもどうして四五十年の間に斯うなつたかと云ふことに疑を抱いて居る。然し日本が四五十年の間に近世國家になつたと云ふことが抑々間違ひなのである。彼等は歐羅巴と交際する以前に日本は殆ど文明らしいものを持つて居らなかつたやうに思ふのです。それから色々の間違ひが起る。其ことに付てお話を申上げて見たいと思ひます。
 何處の國でもあるのですが、西洋人は殊にひどいが、日本も亦其病は免かれぬ。國の歴史は其國だけの歴史であつて、世界共通のものがあつて何處の國でも世界史の一部分が其國の歴史であると云ふことを氣が附かない。日本の如きも日本は特別な國だと思つて居るが、皆世界の歴史の一部分であります。皆さん御承知の通り何處の國でも最初は奴隷を本として經濟を立てゝ居ります。奴隷と云ふのは勞働即ち勞働力です。其奴隷は隣の村へ行つて奪つて來る奴隷があり、戰爭で取る奴隷もあり、刑罰に依つて生れる奴隷もある。奴隷の源は色々ありますが、兎に角奴隷なかりせば勞働力がないから、奴隷を基礎として經濟を立てゝ行く。我國の如きも即ち最初は奴隷經濟であつた。あなた方は奴隷と云ふと日本にさう澤山ないもののやうにお思ひになるかも知れませぬが、歐洲の歴史は羅馬のスパルタカスの奴隷戰爭以來奴隷と自由人民の爭ひが歐洲の中世史であります。日本も其通りで奈良朝時代は純然たる奴隷經濟であります。奈良に正倉院と云ふ帝室のお藏があります。其處に殘つて居る戸籍斷片、昔行はれた戸籍のちり/\ばら/\になつたものがあります。それを見ますと其戸籍に主人は幾歳、妻は幾歳、男の奴隷何歳、女の奴隷何歳と皆籍が載つて居ります。斷片でありまして全體を見ることは出來ませぬが、それから推測して見ると大きな家には三人四人の奴隷が必ずあつたやうです。それから聖徳太子が蘇我の一族と戰はれたときは蘇我の一族には澤山の兵がありました。其奴隷がやはり四五百人あつた。さう云ふ風に總て奴隷を基礎として經濟を立てゝ居つたのです。是は何時頃まで續いたかと云ふと奈良朝の終り迄奴隷がありました。其奴隷は立派に大寶令と云ふ法律にも載つ
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