は無氣力であるから彼奴等は雨龍だと言つて笑つて僅かに鬱憤を漏した。雨龍と云ふのは、御承知の如く龍と言へば角があるが、雨龍は大きな恐しい蛇であるが角がないから、彼奴等は雨龍見たやうに、威張つても槍を立てることは出來ないぢやないかと言うて聊か冷笑して居つたが、冷笑して居る間に段々士は衰へて金を貸して呉れと言ひ、次には金を呉れと言ひ、終ひには強請ると云ふやうになつて來た。黄金のある所は勢力のある所でありまして、段々實力のある者は威張ると云ふことになつて來るのは、是は理の當然であります。
 イギリスの如きは議會と云ふものは何で出來たかと言ふと、今日の如く自由投票普通選擧などと云ふものではなく大地主即ち大名です。イギリス王がフランスと戰爭をするのには金が要る。其大名大地主が税を掛けられる。税を掛けられるなら吾々は政治の發言權を持ちたいと云ふやうなことで、議會が權力を得た。日本も其通りもう士の武權が衰へて中産階級が黄金の權力を持つときには政治に發言するのは、勢ひの當然なんです。徳川幕府は伏見鳥羽の戰で負けましたから、薩長が之を倒したと言ふが、成程薩長は之を倒すのに功勞はあつたに相違ないが、併し薩長のみの力で倒したのではなく、最早黄金が盡きて倒れて居つた。天保以來四五十年掛つて、黄金に銅を混ぜ鉛を混ぜて貨幣の數を殖してやつて來たが、到底政府の維持が出來ない。其中にアメリカが來るから軍艦を造らなければならぬ、大砲も買はなければならぬ、あるものは皆出してしまつた、長州征伐で皆使つてしまつた。徳川慶喜が大阪で負けて江戸へ逃げて來るときは、大阪城にいざと云ふときの軍用金として積んだものが二十八萬兩しかなかつた。是が一切合切の金なのである。それを持つて軍艦に乘つて江戸まで逃げて來たのですが、西郷隆盛などが江戸へ來て、先づ第一に大江戸の金座を押へた時金座に何があつたか、天保錢、文久錢、一分金、小判合せて十五萬兩しかなかつた。徳川政府が三百年掛つて政權を持つてゐながら、それだけの金しかなかつたのです。二十八萬兩に十五萬兩で四十三萬兩と云ふものは、幕府の兵を動かすのに一箇月分しかない金である。即ち幕府が倒れたと云ふことは、財政に於て倒れたのである。どうにも斯うにもならなかつた。昔衣川の戰に義經が戰つた時辨慶が出て行つて數百本の矢を負つても辨慶は倒れないでえらいものだと思つてゐましたが、終ひに行つ
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