それぞれ異つた生活をしてはゐるが、どちらも自尊家で、自尊家につきものの孤独性をもつてゐるところはよく似てゐるやうです。むかし厭世哲学者のシヨペンハウエルは、イタリイの都に旅をして、ところの人達――わけて美しい婦人達が、自分に対しては一向冷淡なのにひきかへて、同じ時同じ都に来てゐた厭世詩人のバイロンに対しては、まるで王侯をもてなすやうな歓迎ぶりなのを見て、ひどく機嫌を損じて、そこそこに旅をひきあげたといひますが、蟹とひき蛙とはどちらも曲者《くせもの》揃ひで、不器量なことにかけてもいい取り合せですから、お互に機嫌を悪くしあはないですむことです。
木の上ではまた、雨蛙と蝸牛とが雨を楽んでゐます。雨蛙は聞えた独唱家ですが、蝸牛はまた風がはりな沈黙家です。一人は葉から葉へと飛び移りますが、一人は枝から枝へと滑り往きます。雨蛙は芸人のやうに着のみ着のままでどこへでも出かけますが、蝸牛は霊場めぐりの巡礼のやうに、自分の荷物は一切合財ひつくるめて、背にしよつて出かけます。二人はたまに広い、青々した芭蕉の葉の上で出逢ふことがありますが、互に目礼のまま言葉一つ交さないでさつさと往き過ぎてしまひます。彼等
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