「どうせ、私は。でも、でも、たった一度、うん、たった二度よ。」
私はわれを忘れて雪を抱きしめた。
八
その謂《い》わば秘密の入口から、私はまだ泣きじゃくっている雪をかかえて、こっそりと私の部屋へはいった。
「静かにしようよ。他に聞えると大変だ。」
私は雪を坐らせて、なだめた。酔は、まったく醒めていた。
雪の泣きはらした眼には、電燈の明るい光がまぶしいらしく、顔からちょっと手を離したが、またすぐひたと両手で顔を被った。
寒さに赤くかじかんだ手の蔭から囁いた。
「私を軽蔑して?」
「いや!」私もむきになって答えた。「尊敬する。君は、神さまみたいだ。」
「うそよ。」
「ほんとうだ。僕は君みたいな女が欲しくて、小説を書いてるのだよ。僕は、ゆうべ初恋の記という小説を書いたけれど、これは、君をモデルにして書いたのだ。僕の理想の女性だ。読んでみないか。」
私は机のうえの原稿をとりあげて、どたりと雪の方へなげてやった。
雪は顔から手を離して、それを膝《ひざ》のうえにひろげた。ああ、そこには、私の名前でない男の名が、いや、ほんとうは私の名が、おおきく書かれていた。雪は、
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