豚吉とヒョロ子
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)豚吉《ぶたきち》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)折角|無代価《ただ》で乗ってもらおうと

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「韋+鞴のつくり」、第3水準1−93−84]《ふいご》で
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 豚吉《ぶたきち》は背《せい》の高さが当り前の半分位しかないのに、その肥り方はまた普通《あたりまえ》の人の二倍の上もあるので、村の人がみんなで豚吉という名をつけたのです。又、ヒョロ子も同じ村に生れた娘でしたが、背丈《せた》けが当り前の人の倍もあるのに、身体《からだ》はステッキのように細くて瘠《や》せていましたので、こんな名前を付けられたのです。
 村の人はこの二人を珍らしがってヤイヤイ騒ぎますので、二人は外へ出ることも出来ません。そのうちに二人とも立派な大人になりました。
 ある時、村の人たちの寄り合《あい》がありましたが、その時に誰か一人が、
「あの二人を夫婦にしたらなおなお珍らしかろう。村の名物になると思うがどうだ」
 と云いますと、みんな一時に、
「それがいいそれがいい」
 と手をたたいてよろこびまして、そこに居た二人の両親にこの事を話しますと、両親も、
「村の人がみんなですすめられるのならよろしゅう御座います」
 と云いました。それから二人に聞いて見ますと、二人はまだ会ったことはありませんが、かねてからお互に人と違った身体《からだ》を持っていることを思いやって、両方で可愛そうに思っていたところですから、喜んで承知いたしました。
 村の人はいよいよ喜びました。
「サア面白いぞ。世界中にない珍らしい夫婦がこの村に出来るのだ。村中で寄ってたかって大祝いに祝え」
 というので、大騒ぎをやって用意をしましたので、まるで殿様の御婚礼のような大仕かけな婚礼の支度が出来ました。
 そうして、いよいよ婚礼の儀式がある晩となりますと、村中の人は皆、あらん限りの立派な着物を着飾って、神様の前の広場に集まりました。
 神様の前の広場には、作り花で一パイに飾られたお儀式の場所が出来ていまして、そのうしろに出来た宴会場には、村の人々が作った御馳走やお酒が一パイに並んでいます。まわりには篝火《かがりび》がドンドン燃やしてありますので、そこいらは真昼のように明かるく見えました。
 そのうちに、町から来た楽隊が賑《にぎ》やかな音楽を初めて、時間が来たことを知らせましたので、みんな神様の前に集まって、礼服を着た神主と一所に、珍らしい夫婦の豚吉とヒョロ子が来るのを今か今かと待ちました。
 けれども、いくら待っても夫婦の姿は見えませんでした。
 そのうちに、二人を迎えに行った美しい花馬車が二台帰って来ますと、それには二人の姿は見えず、二人の両親が泣きながら乗っておりましたが、みんなの前に来ますと、
「皆さん、申しわけありません。二人は逃げてしまいました」
 と云いました。
「サア、大変だ」
 と村中の人は騒ぎ出して、儀式も御馳走も打ち棄てて、大勢の人々が夜通しがかりで探しましたが、二人の姿はどこにも見えませんでした。
 豚吉とヒョロ子は、こうして大勢の人々が騒いでいる時、村からずっと遠い山道を手を引き合ってのぼっておりました。
「ふたりで夫婦になったら、今迄よりもっともっと恥かしくなるよ」
「ほんとですわねえ。とても村には居られませんよ。けれどもみんな心配しているでしょうね」
「しかたがない。こうして出かけなければ、一生涯に外に出る時は無いからね」
「ほんとに情のう御座います。どうかして私たちの身体《からだ》を当り前の人のようにする工夫は無いのでしょうか。私はいつもそのことを思うと悲しくて……」
 とヒョロ子は泣き出しました。
「泣くな泣くな」
 豚吉は慰さめました。
「それはおれでも同じことだ。今に都に行ったらば、よいお医者にかかって治してもらってやるから、泣くな泣くな」
 こう云ってあるいているうちに、二人は山を越えて広い街道に出ますと、夜が明けました。
 豚吉は今まで威張っておりましたが、ここまで来ると、身体《からだ》が肥っておりますのでヘトヘトに疲れてしまいました。
「おれあもうあるけない」
 と豚吉は泣きそうな声で云いました。
「まあ、あなたは何て弱い方でしょう。私がおぶってあげましょうか。あたしはこんなに瘠せてても、力はトテモ強いんですよ」
「馬鹿なことを云うもんじゃない。おれは人の三倍も四倍も重たいんだぞ。そんなことをして、大切なお前が二つに折れでもしたら大変じゃないか」
「いいえ、大丈夫ですよ。私は人の五倍も六倍も力があるのですから」
「いけないいけない。そんなことをしたらなお人に笑われる。それより休んだ方がいい。ああ、くたびれた」
「でも、あとから村の人が追っかけて来ますよ」
「虎が追っかけて来たって、おれはもう動くことが出来ない。休もう休もう」
 と云ううちに、そこの草の上にドタンと尻もちをつきました。
 ヒョロ子は困ってしまって、立ったまま四方を見まわしますと、ずっと遠方から馬車が一台来るのが見えました。ヒョロ子は喜ぶまいことか、大声をあげて、
「馬車屋サーン。早く来て頂戴よ――」
 とハンケチを振りました。
「何、馬車が来た」
 と豚吉も立ち上りましたが、背が低いので見えません。
「何だ、草ばかりで見えやしない」
「そんなことがあるもんですか。ソレ御覧なさい」
 と云ううちに、豚吉を抱えて眼よりも高くさし上げました。
「アッ、見えた見えた。オーイ、馬車屋ア――。早く来――イ」
 と豚吉も喜んでハンケチを振りました。
 これを見た馬車屋のおやじはビックリしました。
 大変に高い、大きな恰好をした人間が呼んでいる。早く行って見ようと思いましたので、馬の尻を鞭でたたいて宙を飛ばしてかけつけました。
「やあ、これあ珍しい御夫婦だ。おれああんた方のような珍らしい御夫婦は初めて見た。どうもえらく高い人だな。別嬪《べっぴん》さんの方はまるで棹《さお》のようだ。それに又、旦那様の肥って御座ること、どうだ。まるで手まりのようだ」
 と馬車屋は大きな声で云いながら近寄って来ましたので、夫婦は真赤になってしまいました。
「あたしはこんな馬車屋さんの馬車には乗らない。今にどんなことを云ってひやかすかわからないから」
 とヒョロ子は云いました。
「馬鹿を云え。一所に乗って行かなければ何にもならないじゃないか……。どうだい、馬車屋さん。これから町まで倍のお金を払うから、大急ぎで乗せて行ってくれないか」
 と云いました。
 馬車屋は大きな手をふって云いました。
「滅相な。お金なんぞは一文も要りません。あんた方のような珍らしい夫婦を乗せるのは一生の話の種だ。さあさあ、乗ったり乗ったり」
 と云ううちに、馬車のうしろの戸をあけてくれました。
 ところが、その入り口が小さいので、豚吉の肥った身体《からだ》がどうしても這入りません。しかたがありませんから、馬車の前の馭者台《ぎょしゃだい》の処にお爺さんと並んで乗って、ヒョロ子だけ中に這入らせようとしますと、天井が低いので、ヒョロ子がしゃがんでも頭が支《つか》えます。そればかりでなく、豚吉が右側に乗ると馬車が右に引っくり返りそうになり、左に乗ると左側の車の心棒が曲りそうになります。
「これあ大変なお客様だ。折角|無代価《ただ》で乗ってもらおうと思っているのに、二人共乗れないとは困ったな」
「おれも乗りたいけれども、これじゃ仕方がない」
「もうよしましょうや。あなたも些《すこ》し辛棒しておあるきなさいよ」
 こんなことを云っているうちに、馬車屋のお爺さんは不意に手をポンとたたいて、
「うまいことを思い付いた。二人とも馬車の屋根に乗んなさい。私がソロソロあるかせるから」
「ウン、それはいい思い付きだ」
 と豚吉もよろこびました。けれども背が低いので登ることが出来ません。
 それを見たヒョロ子は、イキナリ豚吉をうしろから抱《かか》えて、ヒョイと馬車の屋根に乗せまして、自分も飛び上がりました。
 馬車屋のお爺さんはビックリして眼をまん丸にしていました。
 馬車が動き出すと、屋根の上がまん丸くなって今にも落ちそうになりますので、夫婦はしっかり抱き合っていなければなりません。
 そのうちに一つの村に来ますと、サア大変です。村の入り口に遊んでいた子供たちがすぐに見つけて、
「ヤア。定《さだ》っぽの馬車の上に長い長い女と短い短い男と乗っている。おもしろいおもしろい」
 と村へ走って帰りましたので、ちょうど朝御飯をたべていた人達は、皆一時に表に飛び出しました。見ると成る程、今までに見たことのない奇妙な夫婦が、馬車の上に乗ってソロリソロリとやって来ますので、皆不思議がってワイワイ云い初めました。
「珍らしい夫婦だな」
「兄妹《きょうだい》だろうか」
「女の方は飴《あめ》の人形を引き延したようだ」
「男の方はまるで踏《ふ》み潰《つぶ》したようだ」
「どこへ行く人だろう」
「都へ見世物になりに行くんだろう」
「見世物になったら大評判だろうな」
「今なら無料《ただ》だ」
「ヤア無料《ただ》の見世物だ。みんな、来い来い。世界一の珍らしい夫婦だ。無料《ただ》だ無料だ」
 馬車の上からこれをきいた豚吉夫婦は真赤になって憤《おこ》りましたが、今にも屋根から落ちそうなのでどうすることも出来ません。
 けれどもヒョロ子はとうとう我慢し切れなくなって、馬車屋のお爺さんの横に掛けてあった鞭《むち》を取ると、いきなり馬のお尻を力一パイ打ちました。
 豚吉とヒョロ子を乗せた馬はヒョロ子にいきなり尻を打たれましたので、ビックリしてドンドン駈け出しますと、間もなく村を出てしまいました。
 ところが豚吉は、今まで馬車がゆっくりあるいてさえ落ちそうであったのに、それが矢のように走り出したのですからたまりません。
「アッ。大変。お爺さん、馬車を止めてくれ。落ちそうだ落ちそうだ。助けてくれ。アブナイアブナイ」
 とヒョロ子に獅噛《しが》み付きました。
 ヒョロ子も一生懸命になって豚吉を落ちないように押えておりましたが、馬車が村を出ると間もなく、そこにあった道のデコボコに馬車が引っかかってガタンガタンとはね上る拍子《ひょうし》に、二人共抱き合ったまま馬車の屋根の上から往来へ転がり落ちました。
 馬車屋のお爺さんの方は馬を引き止めようとして一生懸命に手綱を引っぱっていましたので、そのままドンドン駈けて行ってしまいました。
「ああ、危なかった」
 と、豚吉はヒョロ子に助け起されながら云いました。
「ほんとに済みませんでした。私がいたずらをしたもんですから」
 とヒョロ子はあやまりましたが、見ると自分の足もとに車屋さんの長い鞭が落ちています。
「アッ。これはさっきの車屋さんのだ。私が走って行って返して来ましょう」
 とヒョロ子は駈け出しそうにしますと、豚吉は引き止めました。
「チョット待て。何だかたいそういいにおいがする」
「ほんとにおいしいにおいがしますね」
「ああ、おれはあの臭《におい》をきいたので、お腹がすっかりすいちゃった」
「まあ。あなたは喰いしんぼうね」
「だって、ゆうべから何もたべないんだもの」
「あたしなんか何日御飯をたべなくとも何ともないわ」
「おれあ日に十ペン御飯をたべても構わない。ああ、御飯がたべたい」
「そんな大きな声を出すものじゃありませんよ」
 とヒョロ子は真赤になって止めました。
 けれども、豚吉は鼻をヒョコヒョコさせながら、あたりを見まわしながらなおなお大きな声で云いました。
「このにおいは、御飯のにおいと、葱《ねぎ》と豆腐のおみおつけの臭《におい》だが、一体どこから来るのだろう」
「そんな卑《いや》しいことを云うもんじゃありません。よその朝御飯ですから駄目ですよ」
「イヤ。あれを見ろ。あの森のかげにめしや[#「めしや」に傍点
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