]と書いて旗が出ている。あすこだあすこだ」
と云ううちに、ドンドン駈け出して、そのうちへ這入って行きました。
「まあ、何て意地のキタナイ人でしょう。さっきは疲れてあるけないと云っていたのに、今はあんなにかけ出して……しかたがない。私も一所に御飯をたべましょう」
と云いながら、ヒョロ子もあとからかけ出して行きましたが、門口まで来ると、又立ち止まって、軒の先にさっきの鞭《むち》をよく見えるようにつきさして中に這入って行きました。
見ると、先に這入った豚吉は葱と豆腐のお汁を熱い御飯にかけて、フウフウ云いながら一生懸命で掻き込んでいます。
「まあ。あなたは何てみっともないたべ方をするんでしょう。そんなことをして喰べると人に笑われますよ」
と云いながら座りましたが、やがてめしや[#「めしや」に傍点]のおかみさんが持って来たお汁と御飯を引き寄せますと、お汁をちょっと嘗《な》めまして、それからハンケチで口のまわりをよく拭いて、今度は御飯をほんの二粒か三粒ばかり固めて口の中に入れました。
夫婦はこんな風にして御飯をたべ初めましたが、豚吉の方はすぐに喰べてしまいましたけれども、ヒョロ子の方はなかなか済みません。やっぱり一粒か二粒|宛《ずつ》たべては、お汁をすこしずつ嘗《なめ》るばかりです。豚吉は初めのうちは我慢してジッと待っておりましたけれども、とうとう我慢しきれなくて冷かし初めました。
「お前はまあ何て御飯のたべ方をするんだ。そんなたべ方をしていると、今にお正午《ひる》になって、昼の御飯と一所になってしまうぞ」
これをきいたヒョロ子は、真赤になって豚吉を睨みました。
「黙っていらっしゃい。あなたのように牛か馬見たようなたべ方をするもんじゃありません。それに私は身体《からだ》が細長いから、御飯の通る道も当り前の人より細長いのです。あなたみたいにドッサリ口に入れたら、すぐに詰まって死んでしまうのです。私が死ぬのが厭《いや》なら温柔《おとな》しく待っていらっしゃい」
と、なかなか云う事をききません。豚吉は大きなあくびをして立ち上りました。
「ヤレヤレ大変なお嬢さんだ。待っているうちに、又お腹がすいて喰べたくなりそうだ。それじゃおれは外を散歩して来るから、ごゆっくり召し上れ」
と云って、裏の方へ出かけました。
豚吉は裏の方へ来て見ますと、ちょうど春で、野にはいろんな花が咲き、蝶が舞い、雲雀《ひばり》が舞っています。あんまりいい景色ですから、豚吉はぼんやり立って見ていますと、すぐ眼の前の古井戸の口で遊んでいた一人の女の児《こ》が、どうしたはずみか井戸の中へ落ちました。
豚吉は驚いて駈け寄りますと、暗い底の方から女の子の泣き声がきこえます。けれども、そこいらに梯子《はしご》もなければ綱もありません。
豚吉は困りましたが、放っておけば女の児が死にそうですから、すぐに上衣を脱いで、ズボンを脱いで、シャツ一枚になって井戸の中へ真逆様《まっさかさま》に飛び込みました。
ところが身体《からだ》が大きいものですから、底へ達《とど》きません。それどころか、ほんの入り口の処へ身体《からだ》が一パイに引っかかって、動くこともどうすることも出来なくなりました。
豚吉は驚きました。
「助けてくれ助けてくれ」
と一生懸命で怒鳴りましたが、身体《からだ》が井戸の口に塞《ふさ》がっているので外へはきこえず、おまけに下では女の児が泣き立てますので、その八釜しいこと、耳も潰れるばかりです。しまいには豚吉も情なくなって、オイオイ泣き出しました。下からは女の児が泣きます。けれども誰にもきこえませんので、助けに来てくれる人がありません。
その中《うち》に豚吉は声が涸《かれ》てしまいました。
ところへ、井戸へ落ちた児のお母さんが、子供はどこに行ったかしらんと探しながらやって来ましたが、見ると、大きな短い足が二本、井戸の中からニューと突出てバタバタ動いています。驚いて走り寄って見ますと、大きな身体《からだ》が井戸の口一パイになっていて、下の方から自分の子供の泣き声がきこえます。
お母さんは肝を潰すまいことか。
「まあ、妾《わたし》の娘はどうしてこんなに急に大きくなったんだろう。何だか男のような恰好《かっこう》だけれど、泣いてる声をきくとうちの子のようだ。何にしても助けて見なければわからない」
と云いながら、急いでその足を捕えて引っぱって見ましたが、どうしてなかなか抜けそうにもありません。
お母さんはいよいよ慌てて村の方へ駈け出しました。
「助けて下さい。うちの娘が井戸の口一パイに引っかかって泣いています。早く誰か来て助けて下さい」
と泣きながらお母さんが叫びますと、村の人々はみんなビックリしました。
「それは珍らしい話だ。まさか井戸の水を飲んでそんなにふくれたんじゃあるまいが……行って見ろ行って見ろ」
と大勢押しかけて来ますと、成る程、井戸の中から大きな足が二本突出てバタバタやっている下から女の児の声がします。
「これは不思議だ。足は男のようだが、声は女の子の声だ」
「変だな」
「面白いな」
「奇妙だな」
「何でもいいから早く引っぱり出して見よう。そうすればわかる」
「そうだそうだ」
と云ううち、大勢寄ってたかって引っぱり初めましたが、身体《からだ》が井戸の口にシッカリはまっている上に重たいのでなかなかぬけません。
「これはどうだ。中々《なかなか》抜けない」
「どうしたらいいだろう」
「仕方がない。車仕掛けで引き上げよう」
「そうだそうだ。それがいいそれがいい」
と云うので、今度は村長さんのところへ行って井戸の水汲み車を借りて来まして、綱の一方に豚吉の足を結びつけて、その綱を車に引っかけると、大勢でエイヤエイヤと引き初めました。
豚吉は驚きました。何をするかと思うと、大変な強い力でイキナリグングン足を引っぱられ初めましたので、今にも足が腰のつけ根から抜けてしまいそうで、その痛いこと痛いこと。
「痛い痛い。ヒイーッ」
と豚吉は死ぬような声を出し初めました。
これをきいた娘のお母さんは気が気でありません。
「あれ、もう止して下さい止して下さい。娘の足が抜けてしまいます。足が抜けて死んだら大変です」
と泣きながら止めましたので、村の人も引っぱるのを止めました。
「この上引っぱったら足が抜けるばかりだが、どうしたらいいだろう」
と村の人は相談を初めました。
「仕方がないから鍬《くわ》を持って来て、まわりから掘り出そう」
「それがいいそれがいい」
と云うので、又みんな村へ帰って、めいめいに鋤《すき》や鍬を持って来て掘り初めました。
「みんな、気をつけろ。娘さんの腹へ鍬や鋤を打ちこむな」
と大変な騒ぎになりました。
ヒョロ子はそんなことは知りません。最前の通り、二粒か三粒|宛《ずつ》御飯を口に入れて、よく念を入れて噛んでは、お汁《つゆ》をほんのすこし嘗めながら、やっと御飯を一杯とお汁《つゆ》を一杯たべてしまいまして、又一杯食べようとしますと、何だか裏の方で人が騒いでいるようです。
「サア、人間掘りだ人間掘りだ」
「まだ生きているんだぞ」
「怪我《けが》させぬように掘出せ掘出せ」
と云う声もきこえます。
「マア、人間掘りなんて初めて聞いた。珍しいこと。御飯はもうおやめにして、ちょっと見てきましょう」
とお茶を飲んで立ち上って、腰をグッと屈《かが》めながら、低い裏の入り口から出て行って見ました。
ヒョロ子が裏へ出て見ると、向うの方で大勢人が寄って、土を掘りながら何か騒いでいます。何事かと思って近寄って見ると、こはいかに。豚吉の足が二本、井戸の中からニューと出ておりますから、驚いてすぐに走り寄って、その足を両方一時に掴《つか》まえて、
「ウーン」
と引っぱりますと、スッポンと抜けてしまいました。それと一所に下から女の児の泣き声が聞えて来ましたので、ヒョロ子は井戸の口から長い長い手を延ばして、女の児の手を捕まえて、スーッと引き上げて上へ出してやりました。
村の人はもうヒョロ子の力に驚き呆《あき》れて、口をポカンと開《あ》いたまま見ておりました。
女の児のお母さんは泣いて喜びました。
豚吉も嬉し泣きに泣きながら、脱いだ着物を着て、最前のめしや[#「めしや」に傍点]に帰って来て、ヒョロ子に今までのことをお話ししますと、ヒョロ子も涙を流して喜んで、
「それはよいことをなさいました」
とほめました。
ところが、いよいよ御飯の代金を払おうとしますと、豚吉のお金入れが見当りません。これはきっと最前の井戸のところに落して来たに違いないと思って、又探しに行って見ましたが、そこにもありません。
二人は顔を見合わせて、どうしたらいいか困っておりますと、表の入り口をガラリとあけて、最前馬に引っぱられて走って行った馬車屋のお爺さんが這入って来ました。そうして二人の顔を見ると喜んで、
「ヤア。あなた方はここに居りましたか。私は馬が急に駈け出しましたので、一生懸命で引き止めようとしましたが、どうしても止まりません。やっと向うの町の入り口まで来ると止まりました。それから、あなた方はどうなすったかと思って引き返して見ますと、ここの表の処に私の落した鞭が引っかかっています。それから入り口の処にお金入れが落ちておりましたが、これはもしやあなた方のじゃありませんか」
と云いました。
夫婦は馬車屋の親切に涙を流して喜びました。そうしてお礼を沢山に遣ったあとで、御飯の代金を払ってこの店を出ました。
豚吉夫婦はそれからだんだんと町に近付きましたが、町の入り口まで来ると、そこに大きな河がありまして、水がドンドン流れています。その上に橋が一つかかっていて、その橋を渡らなければ町へ這入られません。
「サア町へ来た。向うの町に這入ると、きっといいお医者が居るのだ。そうしたらお前も私も身体《からだ》を当り前の恰好にしてもらえるのだ」
と云いながらその橋を渡ろうとしますと、橋のところの小さな小屋から二人の様子を見ていた番人が、
「モシモシ」
と呼び止めました。
豚吉とヒョロ子はうしろから呼び止められましたのでふり返って見ると、それは一人のお婆さんでした。そのお婆さんは二人の様子をジロジロと見ながら云いました。
「私はこの橋の番人だがね。お前さん方はこの橋を渡るならば渡り賃を置いて行かねばなりませんよ」
「そうですか。おいくらですか」
と豚吉は云いながらポケットからお金入れを出しますと、お婆さんは又こう云いました。
「けれども、当り前のねだんでは駄目ですよ。当り前だと一人分一銭|宛《ずつ》ですが、あなたの方は当り前の人間の倍位肥っていられますから、その倍の二銭いただきます。それからあっちの奥さんは、やっぱり当り前の人よりも背丈けが倍ぐらい長いようですから、やっぱり倍の二銭出して下さい」
これをきくと、豚吉は出しかけたお金を引っこめながら、
「おいおい、お婆さん。馬鹿なことを云ってはいけない。いかにも私の身体《からだ》は他人《ひと》の倍ぐらい肥っているが、背丈けは半分しかないから当り前の人間と同じことだ。あのヒョロ子でも背丈けは当り前の倍ぐらいあるが、その代り当り前の人間の半分位痩せているから、これも当り前の渡り賃でいいだろう。さあ二銭あげるから、これで勘弁しておくれ」
と云いました。
ところがこれを聞くと、お婆さんは大層|憤《おこ》ってしまいまして、小さな小舎《こや》から出て来ると、橋のまん中に立って怒鳴りました。
「お前さん方は何です。人並|外《はず》れた身体《からだ》をしながら当り前の橋賃でこの橋を渡ろうなんて、ずいぶん図々しい横着な人ですね。私を年寄りだと思って馬鹿にしているのだね。そんなことを云うなら、この橋はどんなことがあっても渡らせないから、そうお思い」
豚吉はその勢《いきおい》の恐ろしいのに驚いてふるえ上ってしまいました。けれどもこの橋を渡らなければ町へ行かれないのですから、豚吉は元気を出してお婆さんを睨み付けました。
「この婆《ばばあ》
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