処へ稽古に行くと、玄関の上り框《がまち》の処(机に向っている翁の背後)に在る本箱から一冊引出して開いてくれる。時には、
「その本箱を開けてみなさい。その何冊目の本の何という標題の処を開けてみなさい」
 と指図する事もあった。
 それを最初から一枚ぐらい宛《ずつ》、念を入れて直されながら附けてもらうので、やはり二度ほど繰り返しても記憶《おぼ》え切れないと叱られるのであった。
 その本はたしか安政二年版行の青い表紙で、「ウキ」「ヲサヘ」や「ヤヲ」「ヤヲハ」又は廻し節、呑み節を叮嚀に直した墨の痕跡と胡粉《ごふん》の痕跡が処々残っている極めて読みづらい本であった。
 この翁の遺愛の本は現在神奈川県茅ヶ崎の野中家に保存して在る筈である。

          ◇

 翁は一番の謡を教えると必ずその能を舞わせる方針らしかった。
 筆者は九歳の時に「鍾馗《しょうき》」の一番を上げると直ぐにワキに出された。シテはたしか故大野徳太郎君であったと思うが、お互に受持の言葉を暗記するかしないかに二人向き合って申合わせをさせられたので、間違うたんびに笑っては叱られた。
 そんな風であったから筆者は小謡とか仕舞と
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