れて、恙《つつが》なく記憶《おぼ》えていると又一つ新しいのを書いてもらえる。すこし上達して来ると、
「節の附かんとも時々は良かろう」
と云って文句ばかりを書いてくれることもあった。最初は面喰ったが後には慣れて来た。
翁が書いてくれた小謡本には略字や変体仮名が多いので、習って帰ると直ぐに朱で仮名を附けたものであったが、翁は別に咎めなかった。
◇
毎年一月の四日にはお鏡開きといって、お稽古に来る子供ばかりを座敷に集めて、翁が小豆雑煮(ぜんざいのようなもの)を振舞った。それがトテモ美味しくて熱いので、喰っている子供連は一人残らず鼻汁を垂らしたのをススリ上げススリ上げしていた。
翁はニコニコと眺めていた。(佐藤文次郎氏談)
◇
だんだん上達して来ると本番(全曲)を習う。
筆者は三歳ぐらいから祖父に仕込まれていて、翁の処へ入門した時は数番の謡を丸暗記していたのでイキナリ本番を習ったものであったが、むろんこちらから曲目を撰む事は出来なかった。翁が本人の器量に応じて次の月並能の番組を斟酌《しんしゃく》しながら撰んでくれるのであった。
翁の
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