の間から翁が見ているのが恐ろしさに後見を呼ぶ事さえ忘れて舞い続けた。「舞台は戦場舞台は戦場」と思い直し思い直し一曲を終った。
 幕へ這入って仮面を脱ぐと大賀氏の顔が一面に腫れ上って、似ても似つかぬ顔になっているので皆驚いた。(柴藤精蔵氏談)

          ◇

 翁の門下の催能にワキをつとめた人は筆者の祖父灌園以外に船津権平氏兄弟及その令息の権平氏が居た。観世の関屋庄太郎氏も出ていた。
 そのほか他流の人で翁の門下同様の指導を受けていた人々には観世の不破国雄、山崎友来氏等がある。
 しかし翁は他流の人や囃子方、狂言方には、あまり八釜《やかま》しい指導をしなかった。翁が八釜しく云うのは何といっても喜多流の仕手方で、その中でも梅津朔造氏が一番激しくイジメられたりコキ使われたりした。
 翁は事ある毎に、
「朔造朔造」
 と呼んだ。その声がトテモ大きくて烈しいので舞台から見所まで筒抜けに聞こえた。
 その声が聞こえると朔造氏はどこへ居ても直ぐに飛んで来て、持病の喘息を咳入り咳入り翁の用を足した。翁の「朔造朔造」は催能の際の名物であり風景であった。

          ◇

 粟生弘氏
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