り過ぎたんですね。あんなにしていると肝腎の眼が死んでしまいます。あんなのを虚眼と云ってね。時々ありますよ」
 と現六平太先生が評された。
 只圓翁は一生懸命になり過ぎる分ならイクラなり過ぎようとも、出来損っても咎《とが》めなかったので、昌吉氏の虚眼もお咎めを免れたものと思う。

          ◇

 これに引続いた話であるが、前記河原田平助氏の櫛田神社に於ける還暦祝賀能に「大仏供養」が出た。シテの景清が梅津利彦氏で、ワキの畠山重忠が前記梅津昌吉氏であった。
 その頃互いに二十代であった両氏の意気組は非常なもので稽古もずいぶん猛烈であったが、サテ能の当日になると文字通り焦げ附くような暑さであった。それに装束を着けて舞うのだから大変で、
「名乗れ名乗れと責めかけられ」
 と畠山が景清を橋がかりへ追込む時の如き、二人とも満面夕立のような汗が烏帽子《えぼし》際から滴り落ちるのであった。
 揚幕を背にした景清の利彦氏は真赤に上気して、血走った眼を互い違いにシカメつつ流れ込む汗に眩《くら》まされまいとしている真剣な努力が見物人によくわかった。これに対して畠山に扮した梅津昌吉氏は真青になったま
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