のお能は下司下郎だけで芝居小舎ででも演《や》んなさい。神様の前に持って来る事はならぬ」と頑張って何と云っても聞かない。仲に立った人や宮世話人を手古摺《てこず》らせた事が毎度であった。(野中到氏その他数氏談)

          ◇

 次のような例もある。
 筆者が十二三歳の折、中庄の翁の舞台で先代松本健三翁の追善能が催された。
 筆者はその時、「小袖曾我」のシテを承っていたが、筆者の装束を着けていた高弟の某氏(秘名)が筆者の小さなチンポコを指の先でチョイと弾じいた。筆者は直ぐに両手でそこを押えて、「痛い痛い」と金切声を揚げたので近まりに居た高弟諸氏がドッと笑い崩れた。
 隣の居間から見ていた翁の顔色が見る見る変った。某氏を呼付けて非常な見幕で叱責した。
「楽屋を何と心得ているか。子供とはいえシテはシテである。シテは舞台の神様で能の守《まもり》本尊である。そのシテを戯弄するような不心得の者は許さぬ。直ぐに帰れ。一刻も楽屋に居る事はならぬ。装束は俺が付ける。帰れ帰れ」
 といったような文句であったと思う。
 某氏は平あやまりに詫まった。ほかの一緒に笑った人々も代る代る翁に取做《とりな》
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