余りを「ムニャムニャムニャ」と一気に飛ばして、「思い続けて行く程に――イヨー。ホオ」とハッキリ仕手の謡を誘い出すのが通例であった。
 ところが生憎《あいにく》な事に舞台の背後が、一面の竹藪になっている。春先ではあるがダンダラ縞《じま》のモノスゴイ藪蚊《やぶか》がツーンツーンと幾匹も飛んで来て、筆者の鼻の先を遊弋《ゆうよく》する。動きの取れない筆者の手の甲や向う脛《ずね》に武者振付いて遠慮なく血を吸う。痒《かゆ》くてたまらないのでソーッと手を遣って掻こうとすると、直ぐに翁の眼がギラリと光る。
「ソラソラッ」
 と張扇が鳴り響いて謡は又も、
「そオれ漢王三尺の……」
 と逆戻りする。今度は念入りに退屈な下曲《くせ》の文句が一々伸び伸びと繰返される。藪蚊がますますワンワンと殖えて顔から首すじ、手の甲、向う脛、一面にブラ下る。痒いの何のって丸で地獄だ。たまらなくなって又掻こうとすると筆者の手が動くか動かないかに又、
「ソラソラッ」
 と来る。「そオれ漢王三尺の」と文句が逆戻りする。筆者の頬に泪《なみだ》が伝い落ちはじめる。
 何故この時に限って翁がコンナに残忍な拷問を筆者に試みたか筆者には今以
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