て行く筆者の姿は随分珍な図であったろうと思う。翁はその序《ついで》に遺恨骨髄に徹している筆者の頭を張扇でポンとたたいて、
「……片端から忘れるなあ、アンタは……ここには何の這入っておるとな」
と皮肉った事もあった。
遺憾ながらその頃の筆者は頭の中に脳味噌が詰まっている事を知らなかったが、翁は知っていたと見える。
◇
一番情なかったのは「小鍛冶《こかじ》」の稽古であった。
筆者が十二歳になった春と思う。光雲《てるも》神社の神事能の初番に出るというので、祖父母、筆者と共に翁も非常な意気込であったらしいが、それだけに稽古も烈しかった。
当日まで一箇月ばかりは毎日のように中庄の翁の舞台へ逐い遣られたものであった。途中で溝の中の蛙をイジメたり、白|蓮華《れんげ》を探したりして、道草を喰い喰い、それこそ屠所の羊の思いで翁の門を潜ると、待ち構えている翁は虎が兎を掠《かす》めるように筆者を舞台へ連れて行く。「壁に耳。岩のもの云う」と子供心にも面白くない初同が済んで、「そオれ漢王三尺のげいの剣」という序になると、翁はそれから先の上羽《あげは》前の下曲《くせ》の文句の半枚
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