てわからないが、何にしてもあんまり非道《ひど》すぎたように思う。当日の光栄ある舞台の上で、つまらない粗忽をしないように、シテの品位と気位を崩させないように特に翁が細心の注意を払ったものではないかとも思える。或はその頃筆者の背丈が急に伸びたために、急に大人並に扱い初めたのだという祖母の解釈も相当の理由があるように思えるが、それにしてもまだ甘え切っていた筆者にとっては正直のところ何等の有難味もない地獄教育であった。ただ情なくて悲しくて涙がポロポロと流れるばかりであった。

          ◇

 とにかくそんなに酷い目にあわされていながら、翁を恨む気には毛頭なれなかったから不思議であった。ただ縛られているのと同様の不自由な身体《からだ》に附け込んで、ワンワン寄って来る藪蚊の群が金輪際怨めしかった。
 だから或時筆者は稽古が済んでから藪の中へ走り込んで、思う存分タタキ散らしていたら翁が見てホホホと笑った。
「蚊という奴は憎い奴じゃのう。人間の血を吸いよるけに……」

          ◇

 そんな目に毎日毎日、会わせられるので筆者は、
「もう今日限り稽古には来ぬ」
 と思い込んで走っ
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