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その頃博多に梅津朔造氏等の先輩で××という人が居たが、非常に器用な人で師伝を受けずに自分の工夫で舞って素人の喝采を博していた。その人が翁の稽古を肯《がえ》んぜず、色々と難癖を附けて翁を誹謗《ひぼう》したので、祖父は出会う度に喧嘩をした。
「彼奴は流儀の御恩を知らぬ奴じゃ。お能で飯を喰うて行きよるけに老先生も大目に見て御座るが、今に見よれ。罰というものはあのような奴に当るものじゃ」
と口を極めて悪態を吐《つ》いていたが、あんまり度々云うので筆者はその科白《せりふ》を暗記してしまった。どうやら××氏には祖父の方が云い負けていたらしい悪口ぶりであった。
◇
筆者の祖父は装束扱いがお得意で、楽屋の取まわしが好きだったらしい。舞台から引込んで来ると、自分の装束を脱がないまま他人の装束を着けている姿をよく見かけた。
月並能の後、一人頭二三十銭宛切り立てて舞台で御馳走を喰うのが習慣になっていたが、御馳走といっても、味飯《かやくめし》に清汁《すまし》、煮〆程度の極めて質素なものであった。ところで、その席上で気に入らぬ事があると、祖父は只圓
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