者が五遍ぐらいお辞儀をする間、額を畳にスリ付けてクドクドと何か挨拶をしていた。まるで何か御祈祷をしているようであった。
翁から何か云われると、犬ならば尻尾を振切るくらい嬉しそうに、
「ハイ。ハイ。ハイハイハイハイ……」
と云ってウロタエまわった。
その祖父灌園は方々の田舎で漢学を教えてまわった挙句《あげく》、やっと福岡で落ち付いて、筆者が大名小学校の四年生に入学すると直ぐに翁の許に追い遣った。
「武士の子たる者が乱舞を習わぬというのは一生の恥じゃ」
といった論法で、面喰っている筆者の手を引いて中庄の翁の処を訪うて、翁の膝下《しっか》に引据えて、サッサと入門させてしまった。その怖い怖い祖父が、翁の前に出ると、さながら二十日鼠《はつかねずみ》のように一《ひ》と縮みになるのを見て筆者も文句なしに一縮みになった。封建時代の師弟の差は主従の差よりも甚だしくはなかったかと今でも思わせられている位であった。
まだ十歳未満の筆者が、座ったまま翁と応待していると、祖父が背後からイキナリ筆者の頸筋を掴まえて鼻の頭と額をギュウと畳にコスリ付けた事があった。礼儀が足りないという意味であったらしい。
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