うした刻苦精励が翁の終生を通じて変らなかった事は側近者が皆実見したところであった。
 前記の通り晩年、足腰が不叶《ふかな》いになって臥床するようになっても、稽古人が来ると喜んで、仰臥したまま夜具の襟元でアシライつつ稽古を附けてやった。傍《かたわら》の人が、余りつとめられると身体に障るからといって心配しても、「何を云う。家業ではないか」と云って頑として稽古を続けた。

          ◇

 弟子に対する稽古の厳重、慎重であった事は、事柄が事柄だけに最も多く云い伝えられている。殆んど数限りがない位である。
 翁の弟子には素人玄人の区別がなかった。又弟子の器用無器用、年齢の高下、謝礼の多少なぞは一切問題にせずに、殆んど弟子をタタキ殺しかねまじき勢いで稽古を鍛い込んだ。一人も稽古人が来なくなっても構わない勢いで残忍、酷忍、酷烈なタタキ込み方をした。むろん御機嫌を取って弟子を殖《ふ》やそうなぞいう気は毛頭なかったので、現今のような幇間《ほうかん》式お稽古の流行時代だったら瞬く間に翁の門下は絶滅していたであろう。
 翁のこうした稽古振の裡面には、よしや日本中の能楽が滅亡するとも、自分の信ずる
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