師を呼びに遣った。
柴藤氏は狼狽の余り跣足《はだし》で戸外に飛出したが、風雨の中の非常な泥濘をズブ濡れの大汗で、権藤病院に馳け付けて巻頭に掲げた翁の主治医寿三郎先生を引っぱって来た。
寿三郎先生の手当で翁の容態の急変は一時落付く事になったが、寿三郎氏はその時既に「最早《もはや》絶望」と思ってしまったという。だから冒頭に掲げた翁の臨終の逸話は、その翌日の事である。
翁の容態の急変が三度が三度とも能楽のお稽古の最中であった事は、翁の能楽師としての生涯の崇高さを一層悲痛に高潮させる所以ではあるまいか。
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梅津只圓翁の逸話
翁の逸話として何よりも先に挙げなければならないのは、翁自身の勉強の抜群さと、子弟の教育の厳格さであった。
翁は毎朝未明(夏冬によって時刻は違うが)に必ず起上ってタッタ一人で袴《はかま》を着け、扇を持って舞台に出て、自分で謡って仕舞の稽古をする。翁の養子になっていた梅津利彦氏(現牟田口利彦氏)などは遠方の中学校へ行くために早く起きようとすると、早くも翁の足踏の音が舞台の方向に聞こえるので、又夜具の中へ潜り込んだという利彦氏の直話である。こ
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