かたわら》をかえりみて云った。
「折角の案内じゃけに行こう。まだ舞えると思うけに京都迄行って、一生の思い出に直面《ひためん》の『遊行柳《ゆぎょうやなぎ》』を舞うてみよう」
 傍《かたわら》の人々は驚いた。急遽門弟を招集して評議した結果、翁の健康状態が許さぬ理由の下に翁を諫止《かんし》してしまった。万事に柔順な翁は、この諫止に従ったらしいが嘸《さぞ》かし残念であったろうと思う。こうした出来事には人道問題、常識問題等が加味して来るから一概には是非を云えないが、まことに翁のために、又は能楽のために残り惜しい気がして仕様がない。舞台で倒れるのは翁の本懐であったに違いなかったのだから……。後年、熊本の友枝三郎翁が、「雨月」を舞い終ると同時に楽屋で急逝したことは心ある人々の讃嘆するところであった位だから。

 明治四十三年(翁九十四歳)、日韓合併の年の七月二日、風雨の烈しい日であった。
 柴藤《しばとう》精蔵氏(当時二十三歳)は朝から翁の所へ行って謡のお稽古を受けていたが、その途中で翁が突然に「オーン」と唸り声を上げた。同時に容態が急変したらしいので、枕頭にいた老夫人と女中も狼狽して柴藤氏をして医
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