ことに身に余る面目。老体を顧ず滞京、千代造稽古の儀|御請《おうけ》申上《もうしあげ》候」
 と翁の手記に在る。
 同年一月十九日、芝能楽堂で亡能静師の追善能があった。翁も能一番(当麻《たえま》?)をつとめた筈であるが、その当時の記録は今、喜多宗家に伝わっている事と思う。
 その後、毎日もしくは隔日に翁は飯田町家元稽古場に出て千代造氏に師伝を伝え、又所々の能、囃子に出席する事一年余、明治二十六年十一月に帰県したが、何をいうにも、流儀の一大事、翁の一生の名誉あるお稽古とてこの間の丹精は非常なものがあったらしい。もっとも現六平太氏が、千代造時代に師事した人々は只圓翁一人ではなかった。又熊本の友枝三郎翁も、千代造氏輔導役の相談を受けたのを、平に謝絶して只圓翁に譲ったという佳話も残っている。又只圓翁以外の千代造氏の輔導役は幼少の千代造氏を遇する事普通の弟子の如く、嵩《かさ》にかかった手厳しい薫育を加えたものであるが、これに反して只圓翁は極めて叮嚀懇切なものがあった。何事を相伝するにも平たく、物静かに包み惜しむところがなかったので、却《かえ》って得るところが些《すく》ないのを怨んだという佳話が残っ
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