は只圓翁にも上京してくれるように喜多宗家から度々掛合って来たので、翁は無上の名誉として上京したが、早速藩公長知公の御機嫌を伺い、喜多家へも伺ったところ、その後、千代造氏(六平太氏幼名)と、翁と同行にて霞が関へ出頭せよという藩公からの御沙汰があった。
 ところが出仕してみると華族池田茂政、前田|利鬯《としか》、皇太后宮亮林直康氏等が来て居られて、色々とお話の末、池田、前田両氏が親しく翁を召されて、「新家元、千代造の輔導の大役を引受けてくれぬか」という懇《ねんごろ》な御言葉であった。
 その当時の前後の状況は筆者は詳しく知らないが、いずれにしてもこの依頼が翁にとって非常な重責であったことは云う迄もない。
 しかしこの時の翁の立場から見ると、徒《いたず》らな俗情的な挨拶や謙遜を以て己を飾るべき場合でなかったようである。翁も亦、能静氏の恩命を思い、流儀の大事を思い、翁の本分を省み、且つ、依頼者の知遇を思えば、引くに引かれぬ場合と思ったのであろう。
「重々|難有《ありがたき》御言葉。何分老年と申し覚束《おぼつか》なき事に存候《ぞんじそうろう》。しかし御方様よりの仰せに付、畏《かしこ》まり奉る。ま
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