ているそうであるが、その辺にも礼節格式を重んずる翁一流の謙虚な用意が窺われて云い知れぬ床しさが偲《しの》ばれるようである。因《ちなみ》にこの時の只圓翁の上京問題に就ては当時在京の内田寛氏(信也氏父君)、米田與七郎氏(米田主猟頭令兄)が蔭ながら非常な尽力をされたそうである。
尚この時に翁は能楽|装束附《しょうぞくづけ》の大家斎藤五郎蔵氏に就いて装束|附方《つけかた》を伝習した。尤《もっと》も斎藤氏は初め翁を田舎の貧弱な老骨能楽師と思ったらしく中々伝習を承知しなかったそうであるが、現家元その他の熱心な尽力によってやっと承知した。現家元厳君、故宇都鶴五郎氏(能静氏愛婿)は屡々《しばしば》只圓翁の装束附お稽古のために呼出されてお人形に使われたという。
その時代の事に就いて六平太氏は筆者にもこんな追懐談をした。前記の只圓翁の心用意を裏書きするに足るであろう。
「只圓は私を教えてくれた他の故老たちと違って、傲《おご》った意地の悪いところが些《すこ》しもなく、極めて叮嚀懇切に稽古をしてくれましたよ。不審な点なぞも勿体ぶらずにスラスラと滞りなく説明してくれました」
なお六平太氏は只圓翁について語
前へ
次へ
全142ページ中37ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
杉山 萠円 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング