ろうか。
 能静氏の芸風は、極めてガッチリした、不器用な、そうして大きな感じのするものであったという。現家元六平太氏が常に先代先代といって例に引くのはこの人の事である。
 翁は非番の日には必ず能静氏を訪うて稽古を受けた。遠からず滅亡の運命に瀕しつつある能楽喜多流の命脈を僅かに残る一人の老師から受け継ぐべく精進した。
 又藩公へお客様の時には、翁は囃子、仕舞、一調《いっちょう》等を毎々つとめた。他家へお供して勤めた事もあったが、同時に師匠の能静師の事が藩公へ聞こえたのであろう。師匠と共に藩公の御前へ召出されて共々に勤めた事が度々であった。
 翁が能静氏から「道成寺」「卒都婆《そとば》小町」を相伝したのはこの時であった。それから後、翁の出精《しゅっせい》がよかったのであろうか。それとも能静氏が、自分の死期の近い事を予覚したものであろうか。最も重き習物「望月」「石橋《しゃっきょう》」までも相伝したのであったが、ここに困った事が一つ出来た。
 これ程に師匠から見込まれて、大層な奥儀まで譲られたのに対しては、弟子として相当の謝礼をしなければならないものである。勿論能静氏は、そんなつもりで教えたの
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