のつつしまやかな形容に過ぎなかったらしく察しられる。
その能静氏の根岸の寓居は現在もソックリそのままの姿で石川子爵が住んで居られる。まことに堂々たる構えであるが、しかもこの明治二年前後は、能楽師が極度の窮迫に沈淪していた時代であった。現家元六平太氏が家元として引継がれた品物は僅かに張扇《はりおうぎ》一対というのが事実であったから、能静氏も表面は立派な邸宅に住みながら、内実は余程微禄した佗しい生活に陥って居られたものであろう。
そうして、他の能楽師のように別の商売に転向する芸もなく、権門に媚びる才もなく、売れない能楽を守って空しく月日を送って居られたものであろう。
「到って静かで、師を訪うて来る人もない」
という只圓翁の簡素な手記の中には、その時に翁の胸を打った或るものが籠められていたことがわかる。歌道を嗜《たしな》み礼儀に篤《あつ》い翁が、一切をつくした名文ではなかったろうかと思われる。
こうした純芸術家肌の能静氏の処へ今を時めく宰相公のお納戸組馬廻りの格式を持った翁が恭《うやうや》しく訪問した情景は正に劇的……小説的なものであったろう。能静氏の喜び、翁の感激は、どんなであった
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