違いかも知れないが書添ておく。

          ◇

 梅津朔造氏の「安宅」の稽古の時に翁は自分で剛力の棒を取って、「散々にちょうちゃくす」の型の後でグッと落ち着いて、大盤石のように腰を据えながら、「通れとこそ」と太々しくゆったりと云った型が記憶に残っている。梅津朔造氏が後で斎田氏と一緒に筆者の祖父を見舞いに来た時に、祖父の前で同じ型を演って見せたが、
「ここが一番六かしい。私のような身体《からだ》の弱いものには息が続かぬ。……芝居ではない……と何遍叱られたかわからぬ」
 と云ううちに最早《もう》汗を掻いていた。
 それからずっと後、先年の六平太先生の在職五十年のお祝で「安宅」を拝見した時に、同じ処で行き方は違うが、同じような大きな気品の深い落付きを拝見して、成る程と思い出した事であった。大変失礼な比喩ではあるが、とにかく恐ろしく古風な感じのするコックリとした型であったように思う。

          ◇

 只圓翁の「山姥」と「景清」が絶品であった事は今でも故老の語艸《かたりぐさ》に残っている。これに反して晩年上京の際、家元の舞台で、翁自身に進み望んで直面《ひためん》の「景清
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