きと姿の中に感ずる事が出来た。
 後年九段能楽堂で名人に準ぜられている某氏の「野守」の仕舞を見た事があるが、失礼ながらあのような天才的な冴えから来た擬古的な折れ曲りとは違う。もっと大きく深い、燃え上るような迫力を持った……何となく只圓一流と云いたい動きであった。
 同じ「野守」でも只圓翁のは時間的には非常に急迫した、急転直下式の感じに圧倒されながら、あとから考えると誠にユッタリした神韻縹渺たる感じが今に残っている。
「海人」の仕舞でも地謡(梅津朔造氏、山本毎氏)が切々と歌っているのに、翁は白い大きな足袋を静かに静かに運んでいた身体《からだ》附が一種独特の柔か味を持っていた。且つ、その左足が悪いために右手で差す時に限って身体がユラユラと左に傾いた。その姿が著しくよかったので大野徳太郎君、筆者等の子方連は勿論、門弟連中が皆真似た。それを劈頭《へきとう》第一に叱られたのが前記の通り梅津朔造氏であった。

          ◇

 シオリは今のように高くなかった。シオリの高さは能によって違う……といったような翁の訓戒が記憶に残っているようにも思う。
 そんな事が在るかどうか知らぬ。筆者の聞き
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